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海賊討伐の功績で清涼殿への昇殿が許された平氏の武将は?

白河院政で検非違使となり、海賊討伐の功績により清涼殿への昇殿が許された平氏の武将は誰でしょう?

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平忠盛(たいらのただもり)です。

平忠盛は平正盛の嫡男、平清盛の父です。父と同じく寄進、成功を行い検非違使や国司(受領)に任命され力をつけていきます。海賊討伐で武名をあげ、その功績により清涼殿への昇殿が許されました。

源義家が許されたのは院への昇殿であり、忠盛は清涼殿への昇殿です。清涼殿は天皇が住んでいる場所です。当時は院の権力が増大していた時期ですが、格式としては院への昇殿よりも清涼殿への昇殿のほうが上であったようです。

忠盛は日宋貿易にも力をいれ、父から受継いだ財産をさらに増やしていきました。忠盛が築いた経済力と軍事力を背景に、清盛が武士として異例の出世を遂げることになります。

平忠盛(たいらのただもり)系図

「春はあけぼの」のフレーズを知っていても、枕草子を読んだことがある方はそう多くはありません。大河ドラマをきっかけに清少納言と枕草子に興味を持つ方が増えると思いますので、3回に分けてお伝えすることにしました。1回目は清少納言の家族と祖先清原氏の話を中心に、枕草子を書くことになったきっかけや「源氏物語」との違い、清少納言と紫式部の関係を特集します。ぜひご覧ください。