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鹿子木荘(かのこぎのしょう)とはどのような荘園ですか?

肥後国にあった鹿子木荘(かのこぎのしょう)とはどのような荘園ですか?簡潔に答えてください。

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鹿子木荘は肥後国あった荘園で、寄進地系荘園の代表的な例としてよく登場します。鹿子木荘は元々沙弥寿妙(しゃみじゅみょう)という人物が開墾した荘園です。

開発領主である沙弥寿妙は、子孫に鹿子木荘を継承させますが、高方の代に国司から干渉を受けるようになりました。

高方は太宰大弐であった藤原実政(ふじわらのさねまさ)に名義代として400石を払い鹿子木荘を寄進します。

寄進後も高方は預所として荘園を管理しますが、実政と嫡子が失脚する事件がおこり藤原公実→藤原経実→藤原隆通(願西)と鹿子木荘の相続者が変遷します。

政治的な力の弱い願西が相続すると国司からの干渉が強まったため、願西は200石を納め高陽院(かやのいん)内親王に荘園を寄進して干渉を排除しました。

願西が領家、高陽院内親王が本家ということになります。高陽院内親王は鳥羽上皇の皇女です。

肥後国 鹿子木荘(かのこぎのしょう) 寄進地系荘園の本家、領家、開発領主相関図

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