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龍馬の妻 お龍(楢崎龍)

お龍

お龍は1841年京都で生まれました。本名は楢崎龍といいます。龍馬が1835年生まれですから6歳年下になります。


お龍の家族は父、母、妹ふたり、弟ふたりの7人家族でお龍が長女になります。父親の将作は青蓮院宮家に仕える医師でしたが、安政の大獄で投獄され病死をしてしまったのだそうです。


父親の死で生活苦になったため妹が遊女として売られてしまいますが、お龍は着物を処分してお金をつくり妹を取り戻したという武勇伝も伝わっています。


龍馬とお龍がどこで知り合ったのかさだかではありませんが、勤王の志士たちがよく集まっていた方広寺で出会ったようです。


幕府の追っ手が龍馬を捕縛するために寺田屋を襲撃しますが、このとき入浴中だったお龍が機転を利かせて龍馬に知らせたため難を逃れたエピソードは有名です。


ただ、入浴中というのは作り話の可能性も・・・寺田屋を襲撃したのは午前3時ごろですから、こんな時間にお風呂に入っているというのも考えずらいですよね。


寺田屋襲撃後、西郷隆盛や小松帯刀のすすめで、龍馬とお龍は鹿児島に旅立ちます。旅行の目的は、追っ手のかかっている龍馬の身を隠すため、そして、寺田屋襲撃で負傷した傷を癒すための湯治だったようです。この旅行が日本最初の新婚旅行といわれています。


お龍は滞在していた下関で龍馬の暗殺を知りました。龍馬の死後、三吉慎蔵に送られて土佐の坂本家でしばらく暮らしたのち、西郷隆盛、寺田屋などを転々とした後、料亭で仲居をしていたときに商人の西村松兵衛と出会い再婚します。


晩年は神奈川県横須賀市に住み、酒に酔うと「私は龍馬の妻だ」と口にして周囲の人を困惑させたそうです。お龍は1906年66歳で亡くなりました。

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