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吉田松陰と野山獄 読書三昧と講義の日々

密航の罪で野山獄に投獄された吉田松陰は、獄中においてどのような生活をしていたのでしょう。記録によると、投獄された当初から読書三昧の日々をおくっていたようです。


兄の梅太郎に本の差し入れを依頼しています。梅太郎の他にも友人や支援者から大量の本の差し入れを受けています。九州遊学、江戸遊学、東北への旅、密航と多忙な毎日をおくっていたので、読みたい本があってもなかなか時間がとれなかったのでしょう。


投獄され自由な時間ができたことをこれ幸いとし、猛烈な勢いで本を読み漁っています。密航事件における野山獄生活(1854年10月~1855年12月)は1年2か月におよびますが、その間に500冊以上の本を読破したといわれています。


「今できることを全力でやる!」という松陰の考えがよくあらわれています。松陰は出獄後も積極的に読書を行い1854年から1857年のおよそ3年間で約1500冊の本を読み、これを「野山獄読書記」としてまとめています。


入獄中の松陰は読書だけをしていたわけではありません。自分を支援してくれる家族や友人にたくさんの手紙を書いています。特に、何かと迷惑をかけている家族に対しては、心づかいに感謝するとともに、弟や妹の学問についてアドバイスをしています。


松陰が投獄された頃の野山獄には、松陰以外に11人の囚人がいましたが、彼らの多くは素行が悪かったり、不貞行為をしたなど一族の持て余し者でした。親族の訴えによって入獄させられることを「借牢」といいますが、11人中9人が「借牢」でした。


彼らは罪人ではありませんが、刑期はなく、親族の許可がなければ出獄することはできませんでした。11人の中にはすでに49年も獄中生活を送っている者さえいました。そのため、野山獄に入ると一生出ることはできないという噂がたっていたのです。


松陰は彼らの境遇を不憫に感じ、彼らに学問をすることの大切さを説きます。松陰は「人として生まれたからには道理を知らないのは恥ずべきことである。この恥じるという気持ちがあるのなら、本を読み、道理を学ぶ以外にはない」として囚人たちに「孟子」の講義を行います。


初めは反発していた囚人たちも、松陰の誠意が本物であることを知ると、進んで講義を受けるようになったのです。松陰はこの野山獄での講義録を「講孟余話」としてまとめています。


岩波文庫「講孟余話」、講談社学術文庫「講孟箚記」というタイトルで出版されています。内容は難しいですが、松陰の講義内容に興味のある方は読んでみてはいかがでしょうか。

講孟余話(こうもうよわ) 吉田松陰

*岩波文庫「講孟余話」

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