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辰治(たつじ)と久坂玄瑞の子 秀次郎(ひでじろう)

吉田松陰の死後、松下村塾門下生たちのまとめ役となった久坂玄瑞は、萩を離れ江戸や京で活動をしていました。


久坂は京の桔梗屋で芸妓(げいき)をしていた辰治(たつじ)と顔見知りになり、彼女を通じて幕府や他藩の情報を得ていました。


京で奔走する玄瑞を支える辰治!いつしか二人は男女の仲になり、辰治は久坂の子を身ごもります。


しかし、1864年7月19日に起きた禁門の変で玄瑞は自刃してしまうのです。禁門の変から2か月後の9月、辰治は玄瑞の子 秀次郎(ひでじろう)を出産します。


秀次郎の母は佐々木ヒロだとする説もあるのですが、辰治の本名が佐々木ヒロなのか、辰治と佐々木ヒロはまったくの別人なのかはわかっていません。秀次郎の存在は、正妻の文には知らされませんでした。


文と玄瑞の間には子がいなかったため、玄瑞存命中に姉寿と小田村伊之助との間に生まれた次男久米次郎を久坂家の養子に迎えていました。玄瑞が亡くなったことで久坂家は久米次郎が継ぐことになります。


しかし1869年になると、文は秀次郎の存在を知ることになります。さらに秀次郎は玄瑞の子であると藩が正式に認めてしまうのです。


すでに久坂家は久米次郎が継いでいたため、文や寿、小田村伊之助は大いに悩まされることになります。


文や寿の兄梅太郎も含め何度も話し合いが行われた結果、1879年になってようやく久坂家は秀次郎が継ぐことになりました。久米次郎は小田村家に復籍することで決着がついたのです。


その後の秀次郎がどうなったのか詳細な史料が残っていないのでよくわかっていません。大倉組という財閥企業に勤め1932年に69歳で亡くなったようです。


秀次郎の母とされる辰治は、1870年に豪農 竹岡甚之助に嫁ぎ三人の子を授かったとされています。

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