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日本史
新島八重コンテンツ一覧
八重の桜 雑学・豆知識
山本久栄(やまもとひさえ)は、元会津藩士 山本覚馬と小田時栄の長女として1871年に誕生します。
維新十傑に選ばれる横井小楠を父にもつ伊勢時雄(いせときお)は、1857年熊本で誕生します。熊本洋学校で学んだのち、同志社英学校に転入して熊本バンドの一員として活動を・・・
小田時栄(おだときえ)は、兄である小田勝太郎の命令で眼病を患い視力の低下した会津藩士山本覚馬の身の回りの世話をすることになります。時栄はまだ13歳でしたが・・・
1876年1月3日、新島襄と結婚した八重は新島八重となります。襄は32歳、八重は30歳でした。ふたりの結婚式には同志社関係者・・・
山本覚馬の娘 山本みねは1862年に誕生します。みねは覚馬とうらの次女になります。長女は夭折しています。7歳の時に会津戦争を経験し、祖母佐久、母うら、叔母八重とともに・・・
新島襄(にいじまじょう)は、安中藩板倉家の家臣であった新島民治の嫡男として1843年に誕生します。幼いころから勉学に励み、藩主板倉勝明から蘭学を学ぶよう・・・
鶴ヶ城籠城戦を経験した八重は、のちに「婦人世界」「新島八重子刀自の談片」「新島八重子刀自懐古談」で当時の状況を証言しています。1868年8月23日新政府軍が鶴ヶ城下に侵攻した日、八重と家族は・・・
1ヶ月にも及んだ籠城戦の結果、会津藩は新政府軍に降伏をします。落城の前夜、山本八重は鶴ヶ城の壁にかんざしで歌を刻みますが、その歌が「荒城の月」のモデルになったという説があります。
仙台藩は東北地方最大の石高を持つ大藩です。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の中心となり各地で新政府軍と戦いますが・・・
会津藩士の子弟は、幼少の頃から「什(じゅう)」と呼ばれるグループに入ります。什には「什の掟(じゅうのおきて)」と呼ばれる決まりがあり・・・
出石藩の医師の家に生まれた川崎尚之助(かわさきしょうのすけ)は蘭学を通じて会津藩士山本覚馬と知り合います。覚馬の推薦により会津藩蘭学所の教授になると覚馬の妹八重と結婚します。尚之助と八重の結婚生活は・・・
山本三郎(やまもとさぶろう)は1848年生まれで、新島八重の3歳下の弟です。京都守護職を任命された会津藩主松平容保は藩兵1000人を京に在中させました。山本三郎も・・・