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山本三郎(やまもとさぶろう)

山本三郎(やまもとさぶろう)は1848年 父山本権八と母佐久の三男として誕生します。兄の覚馬とは20歳、姉の八重とは3歳離れています。


三郎も他の会津藩子弟と同様に10歳から藩校日新館で刀術や槍術、弓術などの教育を受けています。また、兄の覚馬からは洋式銃の扱い方や射撃訓練の指導を受けていました。


京都守護職を任命された会津藩は藩兵1000人を上洛させ京の治安維持に努めす。1867年には三郎のもとにも命がくだり京に上洛します。


翌1868年1月3日鳥羽街道で会津藩と薩摩、長州連合軍の間に武力衝突が起こり戦端が開かれます。この鳥羽伏見の戦いで三郎は砲隊に所属し淀方面に出陣しますが、敵の銃弾をあび重症を負います。


負傷した三郎は船で江戸に運ばれ芝新銭座にある会津藩中屋敷で治療を受けますがそのかいなく命を落としてしまうのです。享年20歳。


三郎の遺髪と着衣は山本家に送られます。会津戦争時、若松城に籠城する八重は血に染まった三郎の衣服を着用して入城します。八重にとって会津戦争は故郷を守る戦いであり、20歳で逝ってしまった弟の弔い合戦でもあったのです。