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江戸城無血開城

江戸城に逃げ帰った将軍徳川慶喜は戦意を喪失し、自らの命と徳川家の存続をはかるため薩長軍に対して恭順の意を示します。


薩摩出身の天璋院篤姫(13代将軍徳川家定正室)と皇族出身の静寛院和宮(14代将軍徳川家茂正室)に薩摩と朝廷へのとりなしを願いでるとともに、主戦派の小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)を罷免し勝海舟を陸軍総裁に抜擢して薩長との交渉に当たらせます。


自らは江戸城を出て上野寛永寺で謹慎し、松平容保に対しては江戸城への登城を禁止して薩長に恭順の意を示すことを命じます。慶喜に見捨てられたかたちとなった容保は上屋敷に家臣を集め、鳥羽・伏見の戦いにおいて家臣を置き去りにしたことを詫びるのです。


容保の言葉を聞いた家臣たちは全員咽び泣き、これまでのわだかまりを捨て君臣一丸となって事に当たることを決意しながら故郷会津に帰国することになります。一方、薩長を中心とする新政府は江戸城を攻めるため東征大総督府を置き総裁に有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)を任命します。


参謀には正親町公董(おおぎまちきんただ)と西四辻公業(にしよつつじきみなり)を、下参謀には薩摩の西郷隆盛(さいごうたかもり)と宇和島の林通顕(はやしみちあき)を配し江戸へと進軍します。


徳川家存続と慶喜の助命を得るために新政府と折衝を行うことになった勝海舟は、山岡鉄太郎を西郷隆盛のもとにおくり下交渉にあたらせ江戸城への攻撃を回避させるための条件を引き出します。


3月13日と14日の2日間にわたり薩摩江戸藩邸内を訪れた勝海舟は、西郷隆盛らと交渉を行い徳川家存続と慶喜の助命を西郷に認めさせ江戸城総攻撃を回避することに成功します。こうして1868年4月11日江戸城は開城され慶喜は謹慎先の水戸へ送られることになるのです。