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山本みね

山本みね
*山本覚馬の次女みね

山本みねは、会津藩士である父山本覚馬と母うらの次女(長女は夭折)として1862年に誕生します。母違いの妹に山本久栄(やまもとひさえ)がいます。


藩主松平容保の京都守護職就任により、父覚馬は京都勤務となり会津を離れたため幼少時は父を知らずに育ちます。


7歳の時に会津戦争が始まり、家族とともに鶴ヶ城に入城したとされ籠城戦を経験します。会津藩降伏後は、自給自足の生活をしたり、米沢に出稼ぎに行くなど苦しい生活を余儀なくされますが、鳥羽・伏見の戦いで死んだとされていた父覚馬が生きていたことがわかり、1871年に京都に移住します。


その際、母うらは会津に残ることを選択したため母と娘は離れ離れとなってしまうのです。うらが京都に行かなかった理由についてはよくわかっていません。覚馬に妾がいたからとか、実家の両親の面倒をみるためなど諸説ありますが、あくまで推測の域をでません。


1876年には叔母である八重がキリスト教の洗礼を受け新島襄と結婚します。その影響でみねも祖母佐久と一緒に洗礼を受けることになります。


みねは新島襄が設立した同志社女学校に入学し勉学に励みますが、同志社英学校に入学した横井小楠の嫡男 横井時雄(よこいときお)と出会い1881に結婚!


1883年には長女悦子が生まれ、1887年には長男平馬を出産します。時雄の父横井小楠(小楠は号であり通称は平四郎)の「平」と山本覚馬の「馬」から平馬と名づけました。


みねは、産後に体調が悪化して1888年27歳の若さで亡くなります。長男平馬は、山本家の養嗣子になりました。

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