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新島襄永眠「狼狽するなかれ グッドバイまた会わん」

生徒数わずか8人でスタートした新島襄の同志社英学校は、熊本バンドの転入や八重、覚馬の献身的な協力もあり生徒数は徐々に増えていきます。


1883年には、横井時雄、中村栄助、松山高吉を社員として迎えると、襄は同志社英学校を大学にすべく活動を始めます。1884年4月には、大学設立のための準備として欧米諸国へ視察旅行に出かけます。


この旅行は、欧米諸国の教育内容や組織形態を学ぶためのものですが、留学中にお世話になった人たちへの挨拶や報告も兼ねていました。


密航した襄の面倒を見てくれたハーディー夫妻と感動の再会を果たします!留学中に知り合った友人たちの訪問を受け楽しい時間を過ごすのです。アマースト大学では、1877年5月まで札幌農学校で教鞭をとっていたクラーク博士にも面会をしました。


1885年12月視察旅行から戻った襄は、関係各所や有識者に積極的に面会し大学設立のための協力を仰ぎます。同志社英学校では、小崎弘道、湯浅治朗、宮川経輝、大澤善助を新たに社員に加え組織の基盤を固めていきます。


卒業生の徳富蘇峰は1887年に民友社を設立し月刊誌「国民の友」を発行!言論界で知名度をあげていました。襄は、蘇峰の力を借り同志社を大学にする必要性を世間に訴え賛同者をつのります。


大隈重信 千円、井上馨 千円、岩崎弥之助(岩崎弥太郎の弟)5千円、岩崎久弥(岩崎弥太郎の長男)3千円渋沢栄一 6千円など、襄や蘇峰の呼びかけに共感した多くの人が大学設立のために寄付をしてくれたのです。


全国を飛び回る新島襄ですが、身体は悲鳴をあげていました。襄は欧米視察旅行中に心臓病を発症し遺書まで書いていました。常に健康の不安を抱えながら活動をしていたのです。襄の身体を心配した八重は、1887年7月になると気候の良い札幌で静養することを勧めます。


およそ二ヶ月間、襄と八重は静養のための旅行に出かけますが、この途中に八重は会津に帰郷します。さらに札幌では幼馴染である日向ユキと再会を果たすのです。1888年7月には医師から心臓病が悪化していていつ倒れてもおかしくない状態だと言われます。襄は長期の静養をすすめられますが、ゆっくり休んでいる時間はありませんでした。


「何としても同志社を大学に!」襄の強い思いとは裏腹に体力は次第に落ちていきます。1889年になると見た目にも衰えは隠せない状況になります。それでも襄は東京、横浜を訪れ有力者と面会をして寄付金を募るのです。その後、滞在中の前橋で腹痛に襲われ、12月には神奈川県の大磯にある旅館「百足屋 むかでや」で静養を余儀なくされます。


1890年1月18日容態が悪化したため八重や蘇峰に電報が打たれます。急いで駆けつけた八重をみた襄は「今日ほど長い一日はなかった、あなたを待っていたのです」と力のない声で語りかけます。「何でもっと早く知らせてくれなかったのか!」八重には無念の思いがあったのでしょう。


襄は年老いた母の世話を八重に頼んでいたため、自分の体調が悪化しても知らせることをしなかったのです。母の世話を任された八重は会いたくても会いにいけない状況でした。


死期を悟った襄は、八重、小崎弘道、徳富蘇峰立会いのもと遺言を残します(徳富蘇峰が筆記)中村栄助や金森通倫も駆けつけ襄の回復を祈りますが、やがてそのときが訪れます。


介抱しようと八重が手をさしのべると、襄は「狼狽するなかれ グッドバイまた会わん」「もう逝くよ・・・」と最後のことばを残し帰らぬ人となりました。1890年1月23日14時20分急性腹膜炎により永眠。享年46歳。


襄の臨終に立ち会った徳富蘇峰は、八重に向かい「これまではともかく、これからはあなたを先生とおなじように思うから、今後は私をお頼りください」と言います。かつて、八重を「鵺(ぬえ)のようだ!」と罵倒した徳富蘇峰は、これまでの非礼を詫びて八重と和解したのです。


生前「自分の葬儀は質素に」と言っていた襄ですが、葬儀当日(1890年1月27日)は4000人近い人々がお別れのため参列しました。棺は同志社の学生が担ぎ若王子山頂まで運ばれ土葬されます。


埋葬地は父親が眠る南禅寺に決まっていたのですが、前日になって寺側が「キリスト教式の葬儀は認めない」「キリスト教徒として碑をたててはいけない」などの条件を突きつけてきたため、急遽市の供葬墓地(現在の同志社墓地)に変更になりました。


襄が心血を注いだ同志社が晴れて大学となったのは、1912年(大学令では1920年)のことです。

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