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山本権八(やまもとごんぱち)

山本権八(やまもとごんぱち)は、会津藩目付である永岡家の四男として誕生します。永岡家の家督は兄が継いだため山本家の婿養子となります。


永岡家と山本家はご近所どうしで妻となった山本佐久とは幼いころから顔見知りだったようです。婿養子に入る前は永岡繁之助という名前でしたが、山本家の家督を継いで権八を名乗るようになります。


高島流砲術を学び会津藩砲術指南役として大砲や銃の教育にあたりました。鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗れると会津藩では軍制を長沼流から洋式へ変える改革を行います。


新たに年齢や身分により白虎隊、朱雀隊、青龍隊、玄武隊の4隊が編制され権八は玄武隊に組み込まれます。


新政府軍により攻め込まれた会津藩では国境を守備する兵力が不足していたため、権八の玄武隊にも出撃命令がくだります。


一ノ堰(いちのせき)で新政府軍と激戦を展開する中で権八は奮戦しますが敵の銃弾を受け討死してしまうのです。享年61歳。