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山本久栄(やまもとひさえ)

山本久栄(やまもとひさえ)画像
*山本覚馬の次女 山本久栄(やまもとひさえ)


山本久栄(やまもとひさえ)は、父山本覚馬と母小田時栄の長女として誕生します。母違いの姉に山本みねがいます。


久栄が誕生したとき、母の時栄は覚馬の妾であったため誕生した年は不明ですが、1893年23歳で亡くなっているとの記録があり、逆算すると1871年生まれということになります。


若くして亡くなったため、久栄に関する史料はあまり残っていませんが、徳富蘆花の小説「黒い眼と茶色の目」の中で登場してきます。


熊本バンドのひとりであった徳富健次郎(徳富蘆花)は同志社英学校で久栄と出会い、やがてふたりは恋仲になります。


結婚を意識する健次郎は、手紙を久栄に送りますが、それを新島夫婦と従弟の伊勢時雄に見られてしまうのです。


周囲の反対(健次郎の兄猪一郎や姉の初子、新島襄、八重など)にあい健次郎は久栄に別れを告げます。とまどう久栄は手紙を書き健次郎の本心を知ろうとします。


一時は別れを決めた健次郎でしたが、その優柔不断な性格からその後も久栄と度々会っていました。


兄や姉には久栄と別れると言いながら、久栄への思いを断ち切れない健次郎は追い詰められ京を離れる決心をします。


健次郎は新島邸で久栄と面会します。襄と八重が同席していたため、ふたりだけで話しをしたいと願いでますが、久栄を心配した襄と八重はこの願いを認めなかったため、健次郎はろくに話もせず新島邸をあとにするのでした。


健次郎に翻弄される久栄は、彼からおくられた手紙や写真を返し思いを断ち切ろうとします。明るい性格だった久栄は、この失恋以後落ち込むことが多くなったそうです。


久栄は同志社女子校を卒業後京都の学校で働きますが、1893年に父覚馬が亡くなると、同年7月に久栄も亡くなってしまうのです。久栄の死因は脳病(神経衰弱)とされています。


逃げるように京を出た健次郎は、1894年27歳で愛子と結婚しますが、久栄との別れを生涯ひきずりながら生きていきます。


1914年、46歳のときに自伝的小説「黒い眼と茶色の目」を発表して、それまで隠していた久栄への思い、後悔をこの小説で告白するのでした。