熊本バンド(くまもとばんど)
熊本バンド(くまもとばんど)は、廃校となった熊本洋学校から同志社英学校に転入してきた生徒の総称です。
熊本洋学校は、1871年熊本で設立されました。熊本県(白川県)で勢力を持っていた実学党 じつがくとう(革新的な思想で改革を行うグループ)の主導により設立された全寮制の洋学校です。
アメリカ軍人L・L・ジェーンズ(リロイ・ランシング・ジェーンズ)大尉を教師に迎え、英語、数学、地理、歴史、化学、生物などの授業をすべて英語で教えていました。授業の質は高く熊本洋学校からは多くの優秀な人材が輩出されます。
キリスト教徒であったジェーンズは、希望する生徒に自宅で聖書を教えていました。キリスト教の教えに感銘を受けた生徒たちは洗礼を受け信者となります。1876年には、生徒35人が熊本の西方にある花岡山に登り、キリスト教による人心革新を唱え奉教結盟を行いますが、彼らの行動が知られるようになると反対派勢力による弾圧が始まります。
明治政府は1873年にキリスト教禁教令を廃止しますが、一般的にはまだキリスト教は邪教であり迫害の対象となっていたのです。この花岡山事件によってジェーンズは解雇となり、熊本洋学校は廃校になります。
ジェーンズは行き場を失った生徒の受け入れを新島襄に依頼します。襄はジェーンズの依頼を快く引き受け熊本洋学校から20名を超える生徒(小崎弘道、金森通倫、伊勢時雄(横井時雄)、海老名弾正、吉田作弥、浮田和民、不破唯次郎など)が同志社英学校に転入してくるのです。
*小崎弘道(同志社2代総長)
しかし、当時の同志社英学校の授業は質が低く、校内では飲酒や喫煙も横行していました。熊本洋学校で厳しい規律の元、ハイレベルな授業を受けていた転入組み(熊本バンド)は同志社英学校に失望します。
彼らは、ジェーンズに学校の不満を訴えますが、ジェーンズは「不満があるのならそのことを新島襄に相談して学校を改革をしなさい」と提案するのです。新島襄を信じて学校の改革をするよう説得された熊本バンドのメンバーは改革の活動を始め、やがて同志社英学校の中心的な存在へと成長していくのです。
*金森通倫