ジャンクワードドットコム・暮らし、生活百科事典

後鳥羽上皇が発した義時追討の院宣を機に起こった戦いは?

1221年後鳥羽上皇は、執権北条義時追討の院宣を発し幕府打倒の兵を挙げました。朝廷と幕府が戦ったこの乱を何と呼んでいますか?

答えはこちら

承久の乱(じょうきゅうのらん)です。

1219年3代将軍源実朝が公暁によって暗殺されます。頼朝直系の血筋が途絶えたことで、幕府の弱体化を見て取った後鳥羽上皇は、この機を逃すまいと義時追討の院宣を発し倒幕の兵を挙げます(1221年)

これに対し幕府は、北条政子が「故右大将(頼朝)の恩は山よりも高く、海よりも深い・・・」と演説し、動揺する御家人を鼓舞し、朝廷と戦うことを決定します。

幕府は北条泰時(ほうじょうやすとき)を総大将に、10万を超える兵で京に攻め上り、朝廷軍との間で戦が行われます!兵力で圧倒する幕府軍は、およそ一ヶ月ほどの戦いで勝利を収めました。

「春はあけぼの」のフレーズを知っていても、枕草子を読んだことがある方はそう多くはありません。大河ドラマをきっかけに清少納言と枕草子に興味を持つ方が増えると思いますので、3回に分けてお伝えすることにしました。1回目は清少納言の家族と祖先清原氏の話を中心に、枕草子を書くことになったきっかけや「源氏物語」との違い、清少納言と紫式部の関係を特集します。ぜひご覧ください。