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西面の武士(さいめんのぶし)と北面の武士(ほくめんのぶし)の違いは?

承久の乱で朝廷側の主力となった西面の武士(さいめんのぶし)の役割、北面の武士(ほくめんのぶし)との違いについて説明してください。

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北面の武士は、72代白河天皇(上皇、法皇)が比叡山延暦寺の僧兵による強訴に備えるために設置しました。腕に覚えのある貴族や武士で構成されました。平清盛の父忠盛や源頼朝の父義朝は北面の武士です。

西面の武士は、鎌倉幕府との戦いに備えて82代後鳥羽天皇(上皇)が設置した武士団です。主に西国の御家人や在京の御家人で構成されていました。

西面、北面どちらも上皇(院)の身辺警護が役割ですが、従来から存在していた北面の武士が形骸化していたため、軍事力を増強する目的で後鳥羽上皇が西面の武士を新設しました。

承久の乱の敗北により西面の武士は廃止されます(北面の武士は存続)

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