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日本史
妻の寿を失った楫取素彦(かとりもとひこ)に寿の妹美和との再婚話が持ち上がります。久坂玄瑞と死別して以降美和は独身を貫いていましたが、母や兄の強いすすめがあり素彦と再婚することになったのです。群馬県令として8年間務めた素彦には男爵が・・・
楫取寿(かとりひさ)は、母の滝が熱心な浄土真宗の信者であった影響から、自身も仏教を深く信仰していました。県令となった夫楫取素彦とともに群馬に移り住んだ寿は、世の中の急激な変化に戸惑う県民の心を宗教で救いたいとの思いから布教活動の支援を行うようになります。
群馬県権令、初代群馬県令となった楫取素彦(かとりもとひこ)は、教育の普及と生糸の生産、輸出に力を入れます。アメリカへの直輸出を実現するため渡米する新井領一郎に楫取寿(寿子)は兄吉田松陰の形見である短刀を託します。
諸隊騒動から楫取素彦(かとりもとひこ)が群馬県令に就任するまでの流れを解説しています。奇兵隊ら諸隊の脱退騒動の責任をとり藩の職(権大参事)を辞した楫取は妻の寿とともに三隅村二条窪で晴耕雨読の生活を送るようになります。そんな楫取に対し新政府は足柄県に出仕することを・・・
花燃ゆ(長州藩)年表。幕末から明治にかけて起きた重大事件、出来事を年代順に掲載しています。
花燃ゆに登場する主要な人物の生没年を一覧で表示しています。長州藩を中心に関連する人物の生没年も掲載しています。
鳥羽・伏見の戦場において突如錦旗が掲げられました。異様な雰囲気をかもしだすその旗が錦旗(錦の御旗)だと知らされると、旧幕府軍は驚愕し戸惑います。この錦旗は、新政府の岩倉具視が大久保利通と品川弥二郎に命じて作らせた・・・
四境戦争(しきょうせんそう)は第二次長州征伐のことで、4つの国境 大島口(おおしまぐち)、芸州口(げいしゅうぐち)、石州口(せきしゅうぐち)小倉口(こくらぐち)で戦いがおこわなれたことからそう呼ばれました。参謀となった大村益次郎(おおむらますじろう)は石州口で幕府・・・
俗論派による正義派の弾圧を聞いた高杉晋作は俗論派を打倒すべく萩に戻ることを決意します。下関の功山寺(こうざんじ)で挙兵した高杉は五卿に「是より長州男児の肝っ玉を御目に掛け申す」と挨拶をすると・・・
禁門の変の敗戦、四カ国連合艦隊の報復攻撃により長州藩内では正義派の勢いが衰え、かわって椋梨藤太(むくなしとうた)ら俗論派が権力を掌握します。俗論派は禁門の変の首謀者として三家老、四参謀を粛清し、さらに野山獄に投獄していた正義派の首脳を処刑するという暴挙に出たのです。
禁門の変。八月十八日の政変、池田屋事件により京での勢力を失った長州藩では、京へ進軍して赦免嘆願を行うべきとする急進派の発言力が強まります。これに対し周布政之助や桂小五郎、高杉晋作、久坂玄瑞らは急進派が暴発しないよう説得を試みますが・・・
幕末の重大事件である池田屋事件!攘夷派志士が多数殺害され明治維新が数年遅れたといわれています。この池田屋事件では長州藩士で松下村塾四天王のひとり吉田稔麿(よしだとしまろ)も命を落としました。吉田稔麿の死も含め、この事件には多くの謎があります。