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文(ふみ)の父 杉百合之助(すぎゆりのすけ)

杉百合之助(すぎゆりのすけ)は、1804年長州藩士である杉七兵衛(すぎしちべえ)の嫡男として長門国萩 川島で誕生しました。母については記録が残っていません。弟に大助と文之進がいます。


父七兵衛は長州藩の下級武士で、家禄はわずか26石でしたが、大変な読書家で、少ない給金の中から工面して本を購入していました。しかし、1813年に起きた大火事で家と書物を失い、萩の東方にある松本村に移住してきたのです。


大切にしてきた本を失った七兵衛の落胆は大きく、しばらく茫然自失の状態でしたが、やがて立ち直り、また本を購入し始めます。そんな父の影響を受けた百合之助と弟二人も本を読み漁り知識を蓄えていきます。


1824年に七兵衛が亡くなると、百合之助は家督を継ぎ、村田右中(むらたうちゅう)の娘滝を嫁に迎えます。


百合之助は滝との間に三男四女(梅太郎、寅次郎、敏三郎、千代、寿、艶、文)をもうけ、極貧な生活の中でも幸せに暮らしていました。


百合之助の性格は寡黙で、めったに笑顔を見せない厳格な父親でしたが、子供たちの教育にはとても熱心で、松陰の勤勉さや、一途な性格は父から受け継いだのでしょう。


四女の文が生まれた1843年には、百人中間頭兼盗賊改方(ひゃくにんちゅうげんがしらけんとうぞくあらためかた)に登用されます。百人中間頭兼盗賊改方は、現在の警察署長のような役職であったようです。


しかし、松陰が幕府の老中間部詮勝(まなべあきかつ)の暗殺を企てた罪で投獄され、江戸送りが決まると、百合之助も連座して免職となります。


1860年に嫡男梅太郎に家督を譲ると、1865年に病でこの世を去ります。享年62。

「春はあけぼの」のフレーズを知っていても、枕草子を読んだことがある方はそう多くはありません。大河ドラマをきっかけに清少納言と枕草子に興味を持つ方が増えると思いますので、3回に分けてお伝えすることにしました。1回目は清少納言の家族と祖先清原氏の話を中心に、枕草子を書くことになったきっかけや「源氏物語」との違い、清少納言と紫式部の関係を特集します。ぜひご覧ください。