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幕府の命令で蝦夷地を探索し「大日本恵登呂府」の標柱をたてた人物は?

18世紀末 幕府の命令で蝦夷地を探索した日本人のうち主な人物二人の名前を答えてください。

答えはこちら

最上徳内(もがみとくない)と近藤重蔵(こんどうじゅうぞう)です。

18世紀後半ロシアが蝦夷地を治める松前藩に度々接触を試み通商を求めてきました。

北方防備の必要性を感じた幕府は北方探索隊を組織して蝦夷地の調査を行います。

この探索に参加した最上徳内はその後も蝦夷地に渡り千島列島(国後島や択捉島など)を調査しました。

1789年になるとアイヌの一部が蜂起し松前藩に鎮圧される事件が起きます(クナシリ・メナシの戦い)

ロシアとアイヌのつながりを警戒した幕府はその後も最上徳内などを蝦夷地に派遣して現地の探索および情勢の調査を行いました。

1792年ラクスマンが根室に来航して幕府との通商を求めます。老中松平定信はラクスマンに長崎への入港証を与えますが通商は拒否しました。

ロシアを警戒する幕府は1798年に幕臣の近藤重蔵らを蝦夷地に派遣(最上徳内も参加)して探索を行い、択捉島に「大日本恵登呂府(だいにほんえとろふ)」の標柱(ひょうちゅう)を立て、日本の領土であることを宣言しました。

1800年幕府は八王子千人同心(はちおうじせんにんどうしん)100人を蝦夷地に入植させると、伊能忠敬(いのうただたか)に蝦夷地測量の許可を与えます。さらに、1802年には松前藩から東蝦夷地を取り上げ幕府の直轄地にしました。

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