坂本龍馬暗殺後の海援隊
*海援隊士の写真 左から3人目が龍馬 龍馬暗殺の犯人を「いろは丸事件」の恨みであると思い込んだ海援隊士たちが、紀州藩の三浦休太郎を襲撃する天満屋事件が起きました。 伊達小次郎
坂本龍馬暗殺犯は誰か!新選組と見廻組説
坂本龍馬が暗殺された直前の近江屋には、龍馬と中岡慎太郎、下僕の藤吉、近江屋の主人夫婦と使用人がいました。龍馬と慎太郎は2階に、藤吉と近江屋の関係者は1階に居たとされています。2
坂本龍馬暗殺されるまでの数日間
幕末という混乱期に土佐から飛び出し、類まれな発想力と行動力で日本の仕組みを変えようとした坂本龍馬は、慶応3年11月15日京都近江屋で刺客に襲われ33年の生涯を閉じます。 龍馬を
坂本龍馬と後藤象二郎 船中八策と大政奉還
*土佐藩参政 後藤象二郎 いろは丸事件の賠償交渉に目途をつけた龍馬は、土佐藩参政後藤象二郎とともに藩船「夕顔丸」に乗船し神戸を目指します。 その船中で後藤象二郎に提唱したのが
土佐藩上士 板垣退助(乾退助)
幕末から明治にかけて土佐藩からは優秀な人材が輩出されました。坂本龍馬、武市半平太、中岡慎太郎、岩崎弥太郎たちは下士と呼ばれ差別を受けていた階級の人たちです。 一方、上士と呼ば
中岡慎太郎と坂本龍馬
中岡慎太郎は1838年土佐の大庄屋 中岡小伝二の嫡男として誕生します。坂本龍馬より3歳年下ということになります。 武市半平太の剣術道場で剣を習ったことから、半平太の唱える尊皇
いろは丸事件
1867年、海援隊は大洲藩の出資により汽船「いろは丸」を購入しました。薩摩藩の依頼で銃や食料品を運ぶ途中、瀬戸内海で濃霧にあい、紀州藩所属の「明光丸」と衝突してしまいます。 「
ワイルウェフ号事件・池内蔵太、黒木小太郎らが犠牲に
*ワイルウェフ号で遭難した池内蔵太 1866年亀山社中所属の小型帆船ワイルウェフ号が五島列島沖合いで座礁する事件が起きました。 ワイルウェフ号は、イギリス商人グラバーから薩摩
坂本龍馬!寺田屋で襲撃される
*長府藩士 三吉慎蔵 一般的に、寺田屋事件とは、1862年に薩摩藩士の有馬新七らが、藩主島津久光の命により殺傷された事件をさします。寺田屋で起きた重要な事件がもうひとつありま
薩長同盟と坂本龍馬
*龍馬の裏書 宮内庁所有 坂本龍馬最大の功績とうたわれるのが薩長同盟の斡旋です。八月十八日の政変、禁門の変と衝突を繰り返し、不倶戴天の敵として憎みあっていた薩摩藩と長州藩の軍

