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徳之島への流罪 愛加那との再会

西郷どんがもっと楽しくなる!小ネタ・豆知識

西郷隆盛の配流地 徳之島岡前(おかぜん)*西郷吉之助(隆盛)の配流地 徳之島(岡前)

文久2年(1862年)6月10日、西郷吉之助(隆盛)を乗せた船は山川港を出港して7月3日前後に徳之島に到着します。

西郷の世話をしたのは間切横目(まぎりよこめ)の琉仲為(りゅうなかため)だとされています。間切横目は島の役人で現在でいえば警察官のような役職です。

徳之島に上陸した西郷は港の近くにある湾直道宅に数日間滞在したのち、琉仲為のすすめで岡前(おかぜん)の松田勝田(まつだかつでん)宅に移りました。

西郷は奄美大島の役人木場伝内(こばでんない)に宛てた手紙の中で、「もう島から出ることはないと諦めているので心は安らかです。戦でも起これば出ていきますが、平穏なら赦免されても島に滞在するつもりです。」と述べています。

奄美大島での3年間と違い今回は罪人として流されたため扶持米もなく役人の監視下に置かれる厳しい環境でしたが、徳之島で過ごしたおよそ2か月の期間は子供たちに読み書きを教えたり、釣りや猟も楽しんだという逸話が残されています。

木場伝内からの手紙で長女菊草(きくそう)の誕生を知ると、8月26日には菊次郎(きくじろう)と菊草を連れた愛加那が徳之島にやってきて再会を果たしています。

愛加那と二人の子供に会えた西郷は幸せのひとときを送りますが、その直後に沖永良部島への移送を知らせる命令書が届き親子は再び離れ離れになるのです。