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薩摩藩の郷中(ごじゅう)教育

西郷どんがもっと楽しくなる!小ネタ・豆知識


薩摩藩士の子弟は、藩校 造士館(ぞうしかん)で学問や武道を学ぶことができますが、それとは別に郷中(ごうちゅう)と呼ばれた町単位での教育も受けていました。

薩摩藩士の子どもは年齢によって小稚児(こちご)、長稚児(おせちご)、二才(にせ)に分けられます。

小稚児は6歳~9歳、長稚児は10歳~13歳、二才は14歳~24歳前後。

年長者である二才が同じ地域に住む長稚児や小稚児を指導する制度が郷中教育です。

稚児たち(小稚児と長稚児)は早朝から郷中の先生の家に行き、儒学や朱子学などの学問を学びます。

帰宅して食事や家の手伝いを済ませると、午後からは勉強の復習、「日新公(じっしんこう)いろは歌」の暗唱、武芸の鍛練など二才の指導を受け、薩摩藩士としての心構えを身に着けました。

日新公いろは歌」は戦国時代の武将で、島津四兄弟の祖父である島津忠良(しまづただよし)が創作した武士としての生き方を説いた47首の歌です。

忠良の号が日新斎(じっしんさい)だったことから「日新公いろは歌」と呼ばれました。

稚児たちは集団学習によりお互いに助け合いながら学問や武道を学んでいきました。また、相撲をとったり、遊んだりすることで団結力を高めていったのです。

子どもたちに対する集団教育や団体行動は他藩でも見られます。のちに敵対することになる会津藩では「什(じゅう)」と呼ばれるグループ単位での教育が行われていました。

≪ 多くの人材を輩出した下加治屋町(したかじやまち) | | 日新公(じっしんこう)いろは歌 ≫

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