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2026.01.05

葛飾区郷土と天文の博物館 令和7年度 特別展「秀吉来襲 ―天正18年の関東―」図録レビュー

葛飾区郷土と天文の博物館で開催された令和7年度 特別展「秀吉来襲 ―天正18年の関東―」の展示図録を読み、天正18年(1590)の小田原征伐を軸にした関東側の戦局や、葛西城を含む各地の攻防、出土遺物でたどる戦国の実像のポイントを整理しました。図版の印象も含め、読後の感想とともに見どころを紹介します。

-・- 目次 -・-
  • 秀吉来襲 ―天正18年の関東―
    • 出世街道を駆け抜けた豊臣秀吉
    • 関東の覇者 小田原北条氏
  • 図録の見どころ
    • 1章 16世紀後半の関東情勢
    • 2章 天下人秀吉の登場と統一への道
    • 3章 秀吉と北条氏の交渉
    • 4章 秀吉出陣、関東での攻防
    • 5章 北条氏以後の関東
    • 図録情報
    • 図録 目次
    • 図録を読み終えて

特別展「秀吉来襲 ―天正18年の関東―」図録の表紙 葛飾区郷土と天文の博物館 撮影:junk-word.com(爆点日本史編集部)
葛飾区郷土と天文の博物館で開催された特別展「秀吉来襲 ―天正18年の関東―」展示図録の表紙 撮影:junk-word.com(爆点日本史編集部)

秀吉来襲 ―天正18年の関東―

葛飾区郷土と天文の博物館 令和7年度 特別展図録「秀吉来襲 ―天正18年の関東―」は、豊臣秀吉が天下統一へ進む過程と、その総仕上げとなった天正18年(1590)の北条氏攻略を、関東側の情勢と具体的な攻防から追える構成です。小田原城を包囲する大軍の動きだけでなく、支城が各地で順に攻略されていく戦局の広がりを、葛飾ゆかりの葛西城(葛飾区青戸)まで視野に入れて描くため、全国史と地域史が接続する瞬間が見えます。

章立ては、16世紀後半の関東情勢から入り、天下人としての秀吉の台頭、秀吉と北条氏の交渉過程、秀吉出陣後の関東での攻防、そして北条氏滅亡後の関東の変化へと進みます。交渉が破綻していく理由や、戦いがどの城でどう展開したのかが、時間軸に沿って整理されています。

出世街道を駆け抜けた豊臣秀吉

豊臣秀吉(当初は木下藤吉郎、のち羽柴秀吉)は、尾張の身分の低い家に生まれたとされ、若い頃に織田信長に仕えて頭角を現しました。まずは近江で浅井・朝倉勢と対峙する前線の拠点づくりなどで信長の信任を得て、実務能力と調整力で家中で地位を上げていきます。

やがて信長の中国地方攻略を任され、播磨・但馬などで毛利方と対峙する「中国攻め」を指揮しました。戦だけでなく、降伏や同盟を引き出す交渉、城や物流の整備、恩賞配分を通じて支配を固め、織田政権の軍事と統治の両面を担う有力武将へ成長していきます。

そして天正10年(1582)、備中高松城をめぐる戦いの最中に、信長が京都の本能寺で明智光秀に討たれたという報せが届きます。秀吉は毛利方と和睦を急いで戦線をまとめ、畿内へ引き返す準備を整え、本能寺の変後の情勢へ踏み出すことになります。

本能寺の変(1582年)を知った秀吉は、備中高松城の戦いを早期に収束させて軍をまとめ、いわゆる中国大返しで畿内へ急行します。山崎の戦いで明智光秀を破り、織田家中の主導権争いへ一気に踏み込みました。清洲会議では信長の後継問題が議論される中、秀吉は信長の孫(三法師)を推して発言力を高め、各地の有力武将を抑えながら勢力を拡大していきます。

その後、賤ヶ岳の戦い(1583年)で柴田勝家を破って織田家中で優位を固め、同年から大坂城の築城を進めて政権の拠点を整えます。さらに小牧・長久手の戦い(1584年)では徳川家康・織田信雄と対峙し、決戦では決着がつかなかったものの、講和と懐柔を重ねて家康を包摂し、全国統一に向けた道筋をつけました。

天下取りを制度面でも前に進めたのが関白就任(1585年)で、秀吉は朝廷権威を背景に諸大名へ命令を通しやすい立場を得ます。続いて四国征伐(1585年)で長宗我部氏を服属させ、統一事業を西へ進め、最後に九州征伐(1587年)で島津氏を降して九州の大勢を掌握しました。ここまでの流れで、秀吉は軍事だけでなく外交と政権運営を組み合わせ、全国規模で大名を従わせる体制を形にしていきます。

関東の覇者 小田原北条氏

小田原北条氏(後北条氏)は、戦国時代の関東で勢力を広げた大名で、出発点は伊勢新九郎盛時(北条早雲)です。早雲は15世紀末から伊豆へ進出し、16世紀初頭に伊豆を掌握しました。さらに1516年、相模の要地である小田原城を奪取し、小田原を本拠とする政権の土台を築きます。

2代氏綱、3代氏康の時代に勢力は大きく伸びます。氏綱は関東への進出を本格化させ、氏康は武蔵へ勢力を広げ、1546年の河越夜戦などを経て関東支配を強固にしました。一方で関東は北条だけで統一できる状況ではなく、上杉氏(山内・扇谷の系統)や、のちには越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄といった有力勢力と対峙し続けます。小田原城が上杉謙信に包囲された戦い(1561年)や、武田信玄の来攻(1569年)をしのいだことは、北条の防衛力と動員力を象徴する出来事でした。

4代氏政の時代になると、北条は相模・伊豆を基盤に、武蔵・下総・上総・上野などへ影響力を及ぼし、関東の広域政権としての性格を強めます。城郭整備も進み、小田原城では総構と呼ばれる大規模な防御線が形成され、籠城戦に耐える構えが整えられていきました。ただし外部環境は急速に変化します。織田信長の台頭で中央の権力構造が動き、1582年に武田氏が滅亡すると、旧武田領をめぐって北条・徳川・上杉が角逐する天正壬午の乱が起き、関東と甲信の勢力図は流動化しました。

その後、天下統一を進める豊臣秀吉が台頭し、北条にも臣従を求めるようになります。北条は関東の既得権益を守ろうとして交渉を重ねますが、沼田領をめぐる裁定問題名胡桃城事件などを背景に対立が決定的となり、最終的に1590年の小田原征伐へつながっていきます。

図録の見どころ

本図録の見どころは、戦国の政治外交を語るストーリーに、出土資料を中心としたモノの証拠が重なる点です。たとえば葛西城址出土の鉄鏃や火縄銃の弾丸、中国産の染付碗など、戦時と城の暮らしを同時に想像できる資料が並びます。

さらに山中城跡出土の鎧の小札や兜の前立といった装備品も示され、合戦の現場感が立ち上がります。秀吉の肖像(佐賀県立名護屋城博物館所蔵)が冒頭に据えられているのも、天下人の存在感を図録全体の導入として効かせる要素です。

1章 16世紀後半の関東情勢

第1章では、領域地図や小田原城跡御用米曲輪(ごようまいぐるわ)出土の遺物を手がかりに、北条氏の北進と、それに対抗する北関東の領主連合(佐野氏、長尾氏、由良氏、宇都宮氏、佐竹氏)との抗争を中心に解説しています。

天正12年と天正14年の北条氏支配領域地図も掲載されており、下野国南西部へ進出しながら勢力圏を広げていく様子が読み取れます。

2章 天下人秀吉の登場と統一への道

第2章では豊臣秀吉が登場し、本能寺の変後の政局から、大坂城築城、小牧・長久手の戦い、関白就任、徳川家康の臣従、そして各地の平定へ至る流れを簡潔に整理しています。秀吉が軍事と政治を一体で進め、天下統一の土台を固めていく過程がつかみやすい章です。

3章 秀吉と北条氏の交渉

第3章では、秀吉が徳川家康を臣従させた後に北条氏へ上洛を求めるところから始まり、北条側の防衛体制強化、北条氏規の上洛、沼田領をめぐる裁定、名胡桃城事件を経て、小田原征伐が決定されるまでを追っています。

小田原城の堀切の写真や地図を示しながら、総構の整備で防衛力を高める北条氏と、討伐へ向けて準備を進める秀吉との駆け引きを、徳川家康判物や豊臣秀吉朱印状などの史料を通してたどれる構成になっています。

4章 秀吉出陣、関東での攻防

第4章は本図録の核となる章で、約80ページを割き、山中城、葛西城、鉢形城、八王子城などの出土資料を豊富に掲載しながら、小田原征伐における関東各地の戦いを立体的に描いています。城跡の図面や写真に加え、武器・武具、建築部材、陶磁器、弾丸などが並び、合戦の現場と城の暮らしの両面が見えてくる構成です。

山中城・・・山中城は、城跡の全体図に加えて障子堀(しょうじぼり)や土塁の写真が掲載され、攻防戦の様子を具体的にイメージできる内容になっています。出土資料も多彩で、武器や武具、建築部材、陶磁器などが確認されており、図録には槍先、笄(こうがい)、小柄(こづか)、前立て、草摺(くさずり)、弾丸などが収録されています。

石垣山城・・・石垣山城は、秀吉が一夜で築いたという逸話で知られる城です。図録では曲輪・石垣・天守台跡の写真に加え、出土した瓦などの資料を掲載しています。多数の瓦が見つかっている点から、瓦葺きの建物が建てられていた可能性が示されています。

葛西城・・・葛西城は、現在の東京都葛飾区青戸にあった城で、小田原征伐では降伏勧告を受け入れず抵抗したため、豊臣方として出陣した徳川家康配下の部隊(戸田忠次ら)に攻められ、落城したと伝えられます。城跡では堀を横断する列状の木杭が見つかっており、堀に橋が架けられていたことを示す発見として図録にも写真が掲載されています。さらに火縄銃の弾丸4点が出土しており、成分分析の結果や考察が考古学講座でも取り上げられました。

鉢形城・・・鉢形城は、現在の埼玉県大里郡寄居町にあった城で、小田原征伐当時の城主は北条氏政の弟・氏邦(うじくに)でした。図録では土塁、馬出、曲輪の写真とともに、城跡から出土した陶磁器や弾丸などが掲載され、籠城戦を支えた物資や武器の痕跡を追うことができます。

八王子城・・・八王子城は、現在の東京都八王子市にあった城で、小田原征伐当時の城主は北条氏政の弟・氏照(うじてる)です。ただし氏照は小田原城に詰めていたため、実際の防衛は家臣たちが担いました。八王子城の戦いは激戦として知られ、死傷者が多く出たとされます。城跡からは約7万点もの遺物が出土しており、図録には中国製陶磁器のほか、高価な瑠璃釉碗(るりゆうわん)、ベネチア産のレースガラス瓶なども収録されています。さらに武器・武具の資料も充実しており、大筒の玉や火縄銃の弾丸、鋳型まで含まれます。鋳型の出土は、城内で弾丸を製造していた可能性を示す点で、戦いの切迫感を強く伝えています。

5章 北条氏以後の関東

北条氏の降伏によって小田原征伐は終結し、関東に君臨した戦国大名としての北条氏は終焉を迎えます。一方で、氏規の系統は狭山藩主として存続し、明治まで家名をつなぎました。図録では、徳川家康の関東入国から葛西領の成立を簡潔にまとめています。

図録情報

図録名 令和7年度 特別展「秀吉来襲 ―天正18年の関東―」
発行 葛飾区郷土と天文の博物館
発行日 令和7年11月22日
ページ数 113ページ
価格 700円

図録 目次

開催にあたって
1章 16世紀後半の関東情勢
北条氏政の居館一小田原城跡用米曲輪の道構群と出土資料一/北条氏、織田氏の傘下へ-北条氏政の選択一/北条氏と徳川氏の同盟/北条氏の北進
2章 天下人秀吉の登場と統一への道
本能寺の変とその後/大坂築城/小牧・長久手の戦い/秀吉の関白就任/徳川家康の臣従/各地の平定
3章 秀吉と北条氏の交渉
北条領国内の防衛強化/小田原城総構/北条氏の方針転換/北条氏規の上洛/沼田領の裁定/北条氏政の上洛計画と名胡桃城事件/秀吉の北条氏征伐決意
4章 秀吉出陣、関東での攻防
山中城/山中城の攻防/山中城跡の出土資料/秀吉、小田原へ/石垣山城の築城/武蔵、房総方面の攻略/葛西城の攻略/葛西城/豊臣勢の打ち込んだ弾丸か/村々の対応/武蔵への転進/鉢形城の守備と攻撃/鉢形城/発掘調査の成果/鉢形城跡の出土資料/八王子城/戦への備え/八王子城への攻撃/八王子城跡の出土資料/北条氏の降伏
5章 北条氏以後の関東
徳川家康の関東入国/江戸幕府の成立と関東/領の成立/地域に残る秀吉の記憶
年表

図録を読み終えて

昨日から令和8年(2026年)の大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放送が開始されました。葛飾区郷土と天文の博物館の特別展「秀吉来襲」は、豊臣秀吉・秀長に注目が集まる中でのタイムリーな企画です。展示は令和7年11月22日から開催されていて、関連するイベントとして、考古学講座「豊臣政権の大名支配と後北条氏」と「戦国時代に使用された火縄銃の弾丸の材質と材料産地」が開講されました。

私はすべてに参加できたわけではありませんが、特別展の観覧と考古学講座「戦国時代に使用された火縄銃の弾丸の材質と材料産地」の受講で、十分に楽しめました。観覧の感想は、「葛飾区郷土と天文の博物館 特別展 秀吉来襲 を観覧 小田原征伐と北条氏滅亡を出土遺物から読み解く」にまとめています。

考古学講座では、火縄銃の弾丸という専門的なテーマを軸に、城跡から出土した弾丸の分析結果をもとにした解説が行われました。甲斐の武田氏や北条氏をはじめ東国の大名たちが鉛の確保に苦慮していたこと、領内の鐘や銅銭を集めて弾丸を作り、信長や秀吉に備えていたことなど、資料の裏側にある切実な事情が伝わってきます。

本図録は全5章、113ページのフルカラーで、価格は700円と手に取りやすい設定です。文章の解説は多くありませんが、その分、写真や図版が充実しているため、視覚的に楽しみながら理解を進められます。

展示を観覧したあと、帰宅して図録で内容を追い直すと、城跡の構造や出土遺物の意味が腑に落ち、理解が深まります。特別展は1月18日まで開催されていますので、未見の方は博物館に足を運んでみてください。

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