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薩摩藩の表高は73万石!実高は?

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江戸時代 徳川家の直轄領(天領)は400万石で、旗本領300万石を合わせると、実に700万石もの領地を保有していました。

外様大名では加賀の前田家が102万石、薩摩の島津家が73万石、仙台の伊達家が62万石と、外様大名のトップ3を合わせても約240万石であり、徳川家の直轄領の6割程度しかなかったのです。

石高には幕府に申請した表高と実質の収入である実高があります。農具の発達や新田開発により収穫量は増加するため、通常は表高より実高が多いケースがほとんどで、幕末の長州藩では表高37万石に対し実高は100万石以上あったといわれています。

ただし、薩摩藩の場合は表高より実高のほうが少なかったようです。一般的に石高の基準となるお米は玄米ですが、薩摩藩の場合は籾(もみ)で計算していたそうです。

籾から籾殻をとると玄米となり、玄米から糠(ぬか)を除去すると白米になります。籾から玄米にすると3割程度減少するので、薩摩藩の実高は50万石程度だったとされています。

参勤交代の人数や、手伝い普請(土木工事)の負担は表高を基準に計算されるため、表高より実高の少ない薩摩藩にとって大きな負担になりました。

薩摩の農民や、薩摩藩の支配を受けた琉球、奄美の人たちは重い税に苦しんだといわれています。

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