多くの人材を輩出した下加治屋町(したかじやまち)
*下加治屋町(したかじやまち)
西郷隆盛生誕の地は薩摩国鶴丸城下の下加治屋町(現在の鹿児島県鹿児島市加治屋町)です。
下加治屋町は多くの人材を輩出した町として知られています。
西郷隆盛、西郷従道、大久保利通、大山巌、村田新八、東郷平八郎、山本権兵衛、黒木為楨など、幕末から明治にかけて活躍した軍人、政治家を輩出しました。
■西郷従道(さいごうじゅうどう)・・・隆盛の弟で初代海軍大将、初代海軍大臣となった人物です。
西南戦争では兄隆盛と袂を分かち新政府側につきました。西南戦争後は海軍の重鎮として活躍し、日清戦争の勝利に貢献しました。
■大山巌(おおやまいわお)・・・隆盛や従道の従兄で初代陸軍大臣。戊辰戦争で活躍するも、会津鶴ヶ城攻撃の際銃弾を受け負傷する。
このとき大山巌を撃ったのが山本八重と言われているが真相は不明。日清、日露戦争では陸軍大将として指揮をとり日本の勝利に貢献しました。
■村田新八(むらたしんぱち)・・・同郷の西郷隆盛を慕い行動をともにする。西郷が徳之島に流されると、村田も連座して喜界島に流されます。
戊辰戦争でも西郷に従い各地を転戦し、戦後は岩倉使節団の一員として欧米を視察する。西郷が下野すると、村田も辞職して鹿児島に戻り私学校を設立。
西南戦争では二番大隊長として熊本城を攻撃するも田原坂で政府軍に敗れる。西郷が自決すると政府軍と交戦後に村田も自決しました。
■東郷平八郎(とうごうへいはちろう)・・・海軍大将。日露戦争時の連合艦隊司令長官であり、日本海海戦ではロシアのバルチック艦隊に完勝して日本の勝利に大きく貢献しました。
■山本権兵衛(やまもとごんのひょうえ・やまもとごんべえ)・・・海軍大将。内閣総理大臣。西郷従道亡き後、薩摩閥の重鎮として海軍のトップになる。
東郷平八郎を連合艦隊司令長官に任命し、日露戦争の勝利に貢献。16代、22代内閣総理大臣となり2度組閣するもシーメンス事件、虎ノ門事件により総辞職。
■黒木為楨(くろきためもと)・・・陸軍大将。日清戦争の第6師団長。日露戦争では第1軍司令官を務め、ロシア軍を破り日本の勝利に貢献しました。