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西郷隆盛誕生 幼名小吉、通称は吉之介

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西郷隆盛(さいごうたかもり)系図
*西郷隆盛系図

西郷隆盛は薩摩藩の下級武士である父吉兵衛隆盛(きちべえたかもり)と母満佐(まさ)の長男として、文政10年12月7日(1828年1月23日)に誕生しました。

隆盛の幼名は小吉(こきち)で、吉之介(きちのすけ)は通称。

吉兵衛と満佐の間には、隆盛の他に3人の男子と3人の女子が誕生しています。次男 吉二郎(きちじろう)、三男 信吾(しんご)、四男 小兵衛(こへえ)、長女 琴(こと)、次女 鷹(たか)、三女 安(やす)。

生まれた順番は隆盛ー琴ー吉二郎ー鷹ー安ー信吾ー小兵衛となります。

隆盛と吉二郎は5歳差ですが、三男の信吾(従道)は隆盛とは15歳も離れています。

大久保利通は1830年生まれなので隆盛より2歳下、桂小五郎は5歳下、坂本龍馬は8歳下、勝海舟は5歳上です。

隆盛は子供の頃から体が大きく相撲が強かったため、町内の子供たちのリーダー的存在でしたが、13歳のときに子供同士の喧嘩で右ひじを負傷してしまいます。

このときの傷が元で右腕が伸びなくなってしまった隆盛は、剣術の道をあきらめ学問の道を志すようになりました。

隆盛は農政に関する仕事に就くと、度々藩に意見書を提出していましたが、この意見書が主君斉彬(なりあきら)の目にとまり登用されることになったのです。

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