徳島城博物館にて、令和8年度春の特別展「蜂須賀十五代-武の伝統と心の継承-」が開催されています。天正13年(1585年)に阿波の大名となり、江戸時代には阿波国と淡路国を治めた蜂須賀家。本展は、15代にわたる歴代当主の業績をたどりながら、彼らが受け継いできた武の伝統と精神性を紹介する内容です。江戸時代を通じて徳島藩を統治し続けた大名家の歩みを、歴代藩主ゆかりの武具や歴史文書、そして華やかな美術工芸品を通して知ることができます。武士としての格式や誇りがいかにして次代へと引き継がれていったのかを探る展示です。
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蜂須賀家の歴史と武の精神を伝える出品資料
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歴代藩主の足跡をたどる歴史資料
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阿波・淡路の情景と大名家の美
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開催情報
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関連イベント
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蜂須賀家が歩んだ歴史の背景
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蜂須賀正勝と豊臣秀吉
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徳島藩の基礎を築いた蜂須賀家政
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徳島藩歴代藩主の足跡

蜂須賀家の歴史と武の精神を伝える出品資料
歴代藩主の足跡をたどる歴史資料
本展の第1会場となる企画展示室では、藩祖である蜂須賀家政(いえまさ)から7代藩主の宗英(むねてる)までの足跡をたどる品々が展示されます。出品資料リストを確認すると、天下人との関わりを示す資料が数多く並ぶことがわかります。
たとえば、天正14年(1586年)の「千利休書状」や、文禄2年(1593年)の「徳川家康書状」、そして慶長3年(1598年)の「徳川秀忠書状」など、歴史上の重要人物に関わる手紙が公開されます。徳川家康書状と徳川秀忠書状はいずれも蜂須賀家政宛で、これらの書状から、蜂須賀家が時の権力者とつながりを持っていたことが読み取れます。
さらに、武の伝統を示す品として、蜂須賀至鎮(よししげ)が用いた「革包丸龍文二枚胴具足」や、大坂の陣で使用されたと伝えられる「法螺貝」、蜂須賀家伝来の「陣太鼓」なども出品されます。具足とは鎧や兜などの武具一式を指します。泰平の世にあっても、武具を大切に保管し伝えてきた大名家の姿勢を感じることができます。
阿波・淡路の情景と大名家の美
第2会場および第3会場では、徳島藩が治めた領地の様子や、大名ならではの華やかな文化を伝える資料が並びます。
第2会場の「描かれた阿波・淡路」では、江戸時代前期の「徳島藩領国図屏風(阿波)」や、文化14年(1817年)の「淡州御道筋所々真景」といった絵図や記録が展示されます。徳島藩は現在の徳島県である阿波国だけでなく、兵庫県の淡路島(淡路国)も治めていました。これらの資料から、当時の広大な領地の様子や阿波の村、山川の様子を知ることができます。
第3会場では「徳島城御殿と大名蜂須賀家の美」と題し、美しい工芸品が紹介されます。「白綸子地能楽模様打掛」という着物や、江戸時代前期の「柳橋水車図屏風」、そして「金梨地左卍紋蒔絵飾太刀拵・太刀」といった品々です。打掛とは女性が着物のいちばん上に羽織る衣装のことで、蒔絵は漆器の表面に金銀の粉で模様を描く伝統技法です。武の精神だけでなく、高い教養と美意識を持っていた大名家の側面を知ることができる構成となっています。
開催情報
| 展示名 | 令和8年度春の特別展「蜂須賀十五代-武の伝統と心の継承-」 |
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| 主催 | 徳島市立徳島城博物館 |
| 会期 | 令和8年4月11日(土曜)から7月20日(月曜・祝日) 前期:4月11日(土曜)から5月31日(日曜)藩祖家政から7代宗英まで 後期:6月4日(木曜)から7月20日(月曜・祝日)8代宗鎮から14代茂韶まで |
| 開館時間 | 午前9時30分から午後5時(入場時間は午後4時30分まで) |
| 特別展の料金 | 大人500円・高大生300円・中学生以下無料 |
| 休館日 | 月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日(土曜・日曜・祝日の場合は開館)、館内燻蒸作業(6月2日、3日) |
関連イベント
| 記念講演会 | 1「蜂須賀十五代-武の伝統と心の継承-」 [日時]令和8年5月23日(土曜) 午後1時30分から午後3時 [講師]根津寿夫(当館主任指導員・学芸員) 2「奥からみた蜂須賀家」 [日時]令和8年7月11日(土曜) 午後1時30分から午後3時 [講師]根津寿夫(当館主任指導員・学芸員) [定員]各50人(先着) [申込方法]電話受付(受付開始はそれぞれ開催日の1ヶ月前) |
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蜂須賀家が歩んだ歴史の背景
四国最大の大名として阿波国と淡路国を治めた蜂須賀家。15代にわたる歴史の背景を知ることで、展示されている武具や歴史文書に込められた武の精神をより身近に感じることができます。
蜂須賀正勝と豊臣秀吉
蜂須賀家の礎を築いた人物は蜂須賀正勝(まさかつ)です。豊臣秀吉に従い、墨俣一夜城や長島一向一揆、天王寺の戦い、中国攻め、山崎の戦い、四国攻めなど数々の戦いで武功をあげ、秀吉の側近として重用された武将として知られています。天正9年(1581年)には播磨龍野城主となり、大名としての地位を確立しました。
正勝と秀吉の間には、秀吉が正勝に阿波一国を与えようとした際のエピソードが残されています。このとき正勝は高齢であり、秀吉の側近く仕え続けることを望み、代わりに所領を子の家政に与えるよう希望したと伝えられています。
その後も正勝は秀吉の傍で仕え、天正14年(1586年)に大坂の邸宅で死去しました。享年61歳。
徳島藩の基礎を築いた蜂須賀家政
正勝の子である蜂須賀家政は天正13年(1585年)に阿波国に入国しました。家政は徳島城を築き、城下町の整備を進めます。豊臣秀吉のもとで阿波国を与えられた家政にとって、徳島城と城下町の建設は、新たな領国支配の出発点でもありました。
家政の歩みで見逃せないのが、豊臣政権から徳川の時代へ移る激動期の判断です。関ヶ原の戦いでは、家政自身は出陣せず、嫡子の至鎮が東軍に加わりました。豊臣秀吉から阿波国を与えられた蜂須賀家は、この局面で難しい対応を迫られましたが、戦後も阿波の大名として存続していくことになります。
徳島藩という名称の由来は、徳島城に藩主が居住していたこと。しばしば阿波藩と呼ばれることもありましたが、阿波国と淡路国を治めた藩を指す呼称としては徳島藩が適切です。後に蜂須賀家は徳川幕府のもとで阿波国と淡路国を統治する大藩となりました。
徳島藩歴代藩主の足跡
家政の後を継いだ歴代藩主たちもそれぞれに特色ある治世を行いました。初代藩主となったのは家政の子である至鎮です。関ヶ原の戦いで東軍に加わった至鎮は、大坂の陣においても蜂須賀の軍勢を率いて徳川方として参戦し、武功を立てています。この至鎮の活躍が蜂須賀家の安泰へとつながっていきました。
その後の藩主たちも様々な事績を残しています。たとえば7代藩主の蜂須賀宗英は享保21年(1736年)に江戸幕府から大井川の改修工事を命じられました。交通の難所であった大井川の治水という大事業には、徳島藩家老の稲田植政(いなだたねまさ)が総奉行として赴き、のちに山田宗賀(やまだむねよし)も総奉行として普請の差配にあたりました。
また幕末期の13代藩主である蜂須賀斉裕(なりひろ)の時代には、徳島藩御召鯨船(おめしくじらぶね)の千山丸(せんざんまる)が建造されています。安政4年(1857年)に造られたこの船は、参勤交代の際に藩主が御座船に乗り移るために用いたとされるものです。現在、全国で唯一現存する大名の船として、国指定重要文化財に指定されています。
歴代藩主たちが幕府への奉仕や藩の威信を示す事業など、様々な形で歴史に名を残しています。

