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2025.07.22

福井県あわら市郷土歴史資料館「南稲越遺跡展」が開催中!弥生土器、土師器、たたら製鉄の背景を解説

あわら市郷土歴史資料館で開催される夏季企画展では、南稲越遺跡(みなみいなごえいせき)の発掘調査成果を通じて、弥生時代から古墳時代への転換期における人々の暮らしに迫ります。4回にわたる発掘調査によって明らかになったこの集落遺跡では、弥生土器から土師器への変遷を示す貴重な資料が発見されており、考古学がどのように過去を読み解くのか、その手法とあわせて紹介されます。この地域には古代から続く製鉄の歴史もあり、日本の技術史を物語る重要な地域として注目されています。

目次
  • 弥生土器から土師器への技術革新
  • 土器の文様と時代の変化
  • 細呂木製鉄遺跡が物語る古代技術
  • 現代に受け継がれる製鉄技術の記憶
  • 開催情報
  • 2025年開催中の弥生・古墳時代関連展示

福井県あわら市郷土歴史資料館「南稲越遺跡展」が開催中!弥生土器、土師器、たたら製鉄の背景を解説【歴史ニュース】イメージ画像 作成:junk-word.com
弥生土器の特徴と文様 AIによるイメージ画像 作成:junk-word.com

土器が語る時代の証言者たち

弥生土器から土師器への技術革新

今回の展示で注目される「弥生土器」と「土師器」は、それぞれの時代の技術や暮らしを映し出す土器です。両者の違いを知ることで、当時の生活の移り変わりが見えてきます。

弥生時代の土器は、縄文土器の伝統を受け継ぎつつ、朝鮮半島からの技術的影響を受けたと考えられています。最大の特徴は、「覆い焼き(覆焼)」と呼ばれる焼成方法です。これは、薪で土器を焚き上げる野焼きとは異なり、藁や土で器を覆って簡易的な窯を作ることで、より高温かつ均一な焼成を可能にしました。

この技術革新により、弥生土器は縄文土器よりも薄くて硬く、赤褐色の実用的な器に進化しました。稲作の普及にともない、穀物の保存に適した壺や、煮炊き用の甕(かめ)など、多様な器形が発達し、機能性が重視されるようになったのです。

古墳時代に入ると、弥生土器の流れをくむ土師器(はじき)が登場します。土師器は、700〜900度程度の比較的低温で焼かれる軟質の土器で、橙色や赤褐色の色合いが特徴です。焼成方法は野焼きや小規模な焼成坑(しょうせいこう)が主流でした。

弥生土器に比べてさらに薄型化が進み、煮炊きの効率が高まったと考えられています。見た目だけでなく、日常生活における使いやすさも向上したとされます。

やがて、5世紀ごろには朝鮮半島から須恵器(すえき)の技術が伝わり、高温で焼き締めた灰色の硬質な土器が登場しますが、土師器はそれと並行して使われ続けました。特に、日常の調理や食事に欠かせない器として、長く人々の生活に寄り添っていたのです。

土器の文様と時代の変化

展示では「見つかった土器からなぜ時代が分かるのか」という疑問にも答えます。土器の形や製作技法、表面に施された文様(もんよう)は、地域や時代ごとに特徴があり、少しずつ変化しています。考古学では、これらの違いを分析することで、おおよその年代を推定することができるのです。

弥生時代の初期には、縄文時代の影響を受けた文様が見られました。沈線文(ちんせんもん)や条痕文(じょうこんもん)など、柔らかい粘土に道具で描いた模様です。中期以降になると、櫛描文(くしがきもん)と呼ばれる、櫛のような道具で連続的に描いた文様が登場します。

しかし、弥生時代の後期には、文様そのものが減少し、装飾のないシンプルな土器が増えていきました。これは、土器づくりの効率を重視するようになった社会の変化を示すと考えられています。

古墳時代になると、弥生土器の流れをくむ土師器が広く使われるようになります。この土師器は、全国各地で似たような形・技法で作られており、地方ごとの差が小さくなっていきました。

このような土器の共通化は、文化の統一が進んでいたこと、すなわち政治的な統合や広域的な交流の進展を示す証拠と考えられています。

ここがポイント!

土器の変化は技術革新だけでなく、社会構造の変化も反映していると考えられています。弥生時代後期の土器の簡素化は効率化への移行を示唆し、古墳時代の土師器の広域的な共通性は、政治的統合の進展を示す資料の一つとされています。

福井に息づくたたら製鉄の遺産


細呂木製鉄遺跡が物語る古代技術

あわら市には南稲越遺跡とともに注目すべき古代製鉄の痕跡があります。それが細呂木製鉄遺跡(ほそろぎせいてついせき)です。この遺跡は奈良時代から平安時代にかけて操業していた製鉄所の跡で、現在4基の製鉄遺構が確認されています。

たたら製鉄といえば島根県や鳥取県の山陰地方が有名ですが、福井県にもこうした古代製鉄技術の拠点が存在していたことは重要な発見です。

たたら製鉄は、砂鉄と木炭を用いた日本の伝統的な製鉄法で、粘土製の炉を使って鉄を作り出す技術です。炉に空気を大量に送り込む鞴(ふいご)の音や動きが「タタラ」と呼ばれる語源の一つとされています。

細呂木製鉄遺跡では、製鉄時に出た鉄くずや土の焼け跡が発見されており、古代においてこの地域が鉄生産を行っていたことが分かっています。

現代に受け継がれる製鉄技術の記憶

細呂木製鉄遺跡では現存する4基の製鉄遺構が確認され、市指定史跡として保存整備が進められています。あわら市郷土歴史資料館の常設展示では「製鉄炉」と「踏みフイゴ」の復元模型が公開されており、当時の製鉄作業を具体的にイメージできます。

古代において鉄は大変貴重で、鉄製品は権力の象徴とされていました。鉄を生産するには高度な技術が必要で、越前国の中であわら市域に複数の古代製鉄遺跡が見つかっていることは、この地域が製鉄技術上で重要な役割を果たした可能性を示しています。

また、この地には古代から「金津(かなづ)」という地名があり「金」が鉄を表すともいわれ、砂鉄から鉄を製造して港から送り出したことが由来とされています。

ここがポイント!

たたら製鉄は、製鉄技術だけでなく、山林管理や砂鉄採取、木炭製造も含む総合的な産業システムだったと考えられています。森林の循環利用や輪伐など、持続的な資源利用も行われていたとされています。

開催情報

展示名 令和7年度夏季企画展「発掘調査から読み解く南稲越遺跡
主催 あわら市郷土歴史資料館
会期 2025年7月5日(土)〜8月31日(日)
開館時間 午前9時30分〜午後6時(最終入館は午後5時30分)
入場料 無料
休館日 毎週月曜日、毎月第4木曜日(祝日の場合はその翌日)、7月22日、24日、28日、8月4日、12日、18日、25日、28日
会場 あわら市郷土歴史資料館(特別展示室、企画展示ゾーン、イベント展示ゾーン)
関連講演会 7月27日(日)13時30分〜「南稲越遺跡で考える―弥生と古墳の間(あわい)―」講師:鈴木篤英氏(福井県埋蔵文化財調査センター主任)

弥生・古墳時代を知る関連展示

2025年は弥生時代や古墳時代に関する展示が各地で開催されています。南稲越遺跡展と合わせて観覧することで、弥生時代から古墳時代への変遷期についてより深く理解することができるでしょう。あいち朝日遺跡ミュージアムでは弥生人と生きもの(虫)との関係に焦点を当てた珍しい企画展が開催されています。

2025年開催中の弥生・古墳時代関連展示

施設名 展示名 会期 概要
神戸市立博物館 特別展「銅鐸とムラ-国宝 桜ヶ丘銅鐸をめぐる弥生の営み- 2025年7月5日~8月31日 国宝 桜ヶ丘銅鐸・銅戈群の発見60年を記念し、国宝 加茂岩倉銅鐸をはじめ各地の重要文化財の銅鐸が神戸に集結。銅鐸埋納の謎と弥生人の営みに迫る。
あいち朝日遺跡ミュージアム 企画展「弥生人といきもの2025 虫のおしらせ 2025年7月19日~9月15日 弥生人と虫たちとの関係を遺跡出土資料から探る。絵画銅鐸など貴重な資料から当時の生活環境を読み解く展示。
大阪府立弥生文化博物館 夏季企画展「大園―古代王権の地域デザイン― 2025年7月19日~9月21日 大園遺跡の50年間の発掘成果を総合し、5世紀と7世紀におけるヤマト王権による地域社会の計画的編成を探る。古墳時代「首長居館」など貴重な遺構を紹介。

弥生土器から土師器への変遷とたたら製鉄のまとめ

  • 南稲越遺跡は弥生時代終わりから古墳時代始めの集落遺跡
  • 弥生土器は「覆い焼き」技法で薄くて硬い実用的な器に進化
  • 稲作普及で壺・甕・高坏など用途別の器形が発達
  • 土師器は700〜900度の低温焼成で橙色・赤褐色が特徴
  • 土師器は須恵器と併存し日常の調理・食事用として重要
  • 土器の文様変化で地域や時代の推定が可能
  • 弥生後期は文様が減少し効率化重視の社会変化を示す
  • 土師器の全国的共通性は政治的統合の進展を表す
  • 細呂木製鉄遺跡は奈良〜平安時代の製鉄所跡
  • たたら製鉄は砂鉄と木炭を使った日本の伝統的製鉄法
  • 古代の鉄は貴重で権力の象徴とされていた
  • 「金津」地名は製鉄との関連が指摘されている