本郷源太(ほんごうげんた)
都内の高校に通う17歳。歴史をこよなく愛し、時間があれば博物館や遺跡めぐりをしている。
四條葵(しじょうあおい)
都内の高校に通う17歳。歴史が大の苦手。テストで赤点をとったことから幼なじみの源太に日本史を教えてもらうことに。
本郷かえで(ほんごうかえで)
源太の妹。兄の影響で歴史好きに!12歳にして古文書解読を日課にしている。
- 縄文時代の始まり
- 縄文時代の気候
- 縄文時代の暮らし
- 縄文時代の信仰
- 縄文時代の遺跡
- 縄文時代と新石器時代
縄文時代の始まり
今日から縄文時代の説明に入るね。縄文時代ってどんなイメージ?
縄文時代といえば縄文土器かな?
OK!それであっているよ。旧石器時代と縄文時代の大きな違いは土器なんだ。旧石器時代に日本にやってきた人類が土器を使い始めたのが縄文時代!このとき使用した土器には縄(なわ)の文様(もんよう)がつけられたので縄文土器(じょうもんどき)と命名されたんだ。
どうして縄なの?
生活道具で身近にあったから縄を使ったと考えられている。押し付けたり、転がしたりすれば簡単に装飾できるからね。貝殻やヘラを使って文様をつけた土器もあるよ。
縄だけじゃないのね。そもそもなんで装飾したのかな?かわいくなるから?
どうして土器に装飾を施したのかは不明なんだ。滑り止めという説もあるけど、文様のない無文土器(むもんどき)もあるからよくわからないんだ。
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縄文土器と弥生土器
縄文土器は、低温で焼かれて厚みがあり、色は黒褐色(こっかしょく)のものが多いという特徴を持っている。次の弥生時代で使用される弥生土器との違いはテストにでるからしっかり覚えてね。
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縄文土器と弥生土器 | ||
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縄文土器 |
弥生土器 |
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焼き方 | 低温 | 高温 |
厚み | 厚手 | 薄手 |
色 | 黒褐色 | 赤褐色 |
ところで縄文時代っていつから始まったの?
おっ!いきなり核心をついてきたね!実は旧石器時代と同様に、縄文時代の始まりも諸説あり決まっていないんだ。
縄文土器を使い始めたから縄文時代なんでしょ。だったら土器を調べればわかるんじゃない?日本で一番古い土器はどのくらい前なの?
現在、日本最古の土器とされているのは、青森県の大平山元遺跡(おおだいやまもといせき)から出土した土器片で、年代測定を行ったところ、約1万6500年前~1万5000年前という結果がでた。 だから、縄文時代の始まりは約1万6500年前とする説が有力となっている。
だったら約1万6500年前でいいんじゃない?
縄文時代は気候が温かくなり人々のライフスタイルが大きく変化した時代でもあるんだ。だから気候についても考慮する必要があり、温暖化が始まった1万5千年前や1万1500年前とする説も有力なんだ。
多くの人が納得するような決め手がないってことなのね。
そうなんだ。このあと気候変動の話をするけど、その前に縄文時代の時代区分について少し説明するね。縄文時代は約1万年も続いたんだ。日本史の時代区分では旧石器時代に次ぐ2番目に長い時代だから、人々の暮らしも徐々に変化していった。なので、整理する意味でも分類する必要があるんだ。
どうやって分類したの?
基準となったのが土器!縄文土器は年代や地域によって特徴があるんだ。 草創期、早期、前期、中期、後期、晩期と6つの時代に区分される。
え~!6つも覚えなきゃいけないの?
前期、中期、後期はすぐに覚えられるでしょ。前期、中期、後期の前後に早期と晩期があって、早期の前に草創期がくる。 前期、中期、後期を中心にすると覚えやすいよ。
前期、中期、後期はすぐわかるけど~・・・前期の前だから早期、後期のあとだから晩期ね。さらに早期の前に草創期。なるほどね。これなら何とかなりそう!
縄文土器の多くが深鉢型(ふかばちがた)と呼ばれる口が大きく開いた形をしていて深さがあるんだ。
土器は煮炊きや貯蔵に使ったと考えられているので、この形が実用的だったんだろうね。なので、縄文土器の基本は深鉢型と覚えて。
草創期は丸底(まるぞこ)と尖底(せんてい)、早期は尖底、前期になると浅鉢型(あさばちがた)が登場して、中期になると装飾性の高い土器が登場したんだ。
後期や晩期になると様々な形の土器が作られるようになった。使い方が多様化したんだね。
ん~何かややこしい!
試験に出題される縄文土器に絞って説明するね。まずは縄文時代草創期の土器。この時代の土器は世界でも発見例が少なくとても貴重なんだ。縄(なわ)以外の方法で文様をつけているのが特徴で、文様にちなんだ名前が付けられている。形は覚えなくていいから名前を覚えて!(1)無文土器(むもんどき)、(2)豆粒文土器(とうりゅうもんどき)、(3)隆起線文土器(りゅうきせんもんどき)、(4)爪形文土器(つめがたもんどき)。さっき紹介した大平山元遺跡で発見された土器片は無文土器なんだ。
無文土器は文様がないのよね。爪形は人の爪で文様をつけたのかな?あとの2つは!
爪形文土器は人の爪やヘラなどで文様をつけた土器。豆粒文土器は粘土を豆粒(まめつぶ)の形にして貼り付け文様にした土器で、隆起線文土器は粘土で作った紐(ひも)を貼り付けて文様にした土器なんだ。これら4つの土器の名前は私立の難関校ではときどき出題されるよ。
私立の難関校って・・・私には関係ないからパスね!
・・・・。
早期の尖底土器、中期の火焔土器(かえんどき)、晩期の亀ヶ岡式土器(かめがおかしきどき)は形に特徴があって、イラストで出題されることがあるから形までしっかり覚えて。底がとがっているのが尖底土器、炎のような装飾が火焔土器、注ぎ口など形のバリエーションが豊富で、芸術性の高いデザインと精巧な作りが亀ヶ岡式土器の特徴なんだ。
名前と形が一致していると頭に入りやすいね。尖底土器って底がとがっているから不安定だと思うけど・・・倒れたら中のものがこぼれちゃうんじゃない?
縄文時代の人は竪穴住居(たてあなじゅうきょ)で生活していたんだけど、住居の中心には炉(ろ)があって、地面に突き刺して使用していたと推測されているんだ。尖底土器は貯蔵用ではなく、お湯を沸かしたり、煮炊きに使ったんだね。竪穴住居については「縄文時代の住居」で詳しく説明するよ。
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亀ヶ岡文化(かめがおかぶんか)
縄文時代晩期に東北一帯と北海道の南西部で精巧な土器や漆器が使用された。青森県亀ヶ岡遺跡(亀ヶ岡石器時代遺跡)から出土した土器にちなんで、亀ヶ岡文化と呼ばれているんだ。江戸時代の記録には多数のかめが出土するため亀ヶ岡の名がつけられたと記されていて、かめは「甕」のことで、土器をあらわしていると考えられている。明治に入り本格的な発掘調査が実施され、精巧な土器や遮光器土偶(しゃこうきどぐう)など、多数の遺物が発見された。東北地方や北海道の渡島半島(おしまはんとう)の遺跡からも同じような遺物が出土しているんだ。
注ぎ口のある亀ヶ岡式土器の写真を見せてもらったけど、いろいろなバリエーションがあるんでしょ。もっと見せて!
芸術性が高く、形のバリエーションが豊富で精巧な作りが亀ヶ岡式土器の特徴なんだ。器面を磨いて赤や黒の漆(うるし)を塗った土器や漆器は光沢があり色鮮やかで、優れた色彩感覚と高い工芸技術を持っていたことがわかるよね。遮光器土偶のように祭祀(さいし)で使われたと推測されている遺物も出土していて、高い精神性を有した文化だったと考えられている。祭祀は集団で行う儀式のこと。土偶については「縄文時代の信仰」で説明するね。
本当だ!火焔土器のような派手さはないけど、繊細で形が美しいね。色もキレイ!
難関校を受験する人は、亀ヶ岡式土器と亀ヶ岡文化の特徴を答えられるようにね。
縄文時代の気候
旧石器時代は氷河時代で寒冷な氷期と比較的温暖な間氷期が交互にやってきて、約2万年前が最も寒かったと推測されていることは旧石器時代で説明したよね。海面が最大で140メートルも低くなり、北海道とユーラシア大陸は陸続きだった。
本州と四国、九州も陸でつながっていたんだよね。
そう!約1万5千年前から少しずつ暖かくなるんだけど、約1万3000年前~約1万1500年前にかけてヤンガードリアス期と呼ばれる寒冷な時期が訪れたんだ。 ヤンガードリアス期が終わったとされる約1万1500年前から再び温暖化したことで、氷河がとけて海面が上昇した。 陸続きであった北海道とユーラシア大陸は海で隔てられ、同じく陸続きだった本州と四国、九州も海で遮られ、約1万年前に日本は現在のような形になったとされているんだ。
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縄文海進(じょうもんかいしん)
縄文海進は約7千年前~約5千年前の縄文時代早期~前期に起きた海進。海進とは海面の上昇によって海が陸地に侵入することなんだ。 温暖化が進み約6千年前になると現在よりも平均気温が2~3度高くなり、海面がおよそ4メートルも上昇したと推測されている。この海進により内陸の奥まで海が侵入して大きな入り江が形成されたんだ。現在の東京の都心部は、ほぼ海の底だったらしい。約6千年前がピークとされ、その後海面が下がり海岸線は現在の位置まで後退したそうだよ。
貝塚って貝殻を捨てた場所でしょ。
そうだね。縄文海進により入り江ができたことで貝を採ることができたんだ。関東地方では、栃木県の篠山(しのやま)貝塚や野渡(のわた)貝塚、群馬県の寺西(てらにし)貝塚、埼玉県の黒浜(くろはま)貝塚など、海に面していない地域にも貝塚が分布していることから、現在の東京湾が内陸部にまで広がっていたと考えられている。
栃木県や群馬県まで入り江が広がっていたのね。
そうなんだ。貝塚の位置などから海進が起きたことは確かなようだけど、まだまだ不明な部分が多いんだ。貝塚については縄文時代の暮らしで詳しく説明するね。
縄文時代6つの時代区分 | 草創期、早期、前期、中期、後期、晩期 |
縄文土器の特徴 | 低温で焼かれた厚手で黒褐色の土器 |
粘土で作った紐を貼り付けて文様にした草創期の土器の名称 | 隆起線文土器 |
竪穴住居の炉に差して使用したとされる土器の名称 | 尖底土器 |
亀ヶ岡式土器が作られた時期(時代区分) | 縄文時代晩期 |
亀ヶ岡文化が形成された地域は | 東北一帯と北海道の南西部(渡島半島) |
縄文時代の温暖化で海が陸地に侵入した現象 | 縄文海進 |
縄文時代の暮らし
狩猟
温暖化による海面上昇で海に囲まれた日本には大型動物は入ってこなくなり、 気候変動に対応できなかったマンモスやナウマンゾウは絶滅したんだ。 かわりにシカやイノシシなど中型・小型動物が生息するようになった。 これらの動物を狩るために新しい狩猟道具が使われるようになったんだけど、どんな道具かわかる?
ん~槍?シカやイノシシめがけて投げたんじゃない?
惜しい!正解は弓矢。動きの早いシカやイノシシを仕留めるには離れた場所からでも攻撃できる道具が必要なんだ。だから弓矢が使われるようになった。
そうか!弓矢ね!
旧石器時代の槍は、大型動物を突き刺して仕留めるためのものだけど、縄文時代になると中小の動物を狩るために投槍(なげやり)も使われるようになったんだ。弓矢が開発されるまでの間は投槍も使われたから間違いではないよ。
素早いシカを獲るには確かに弓矢のほうが適しているね。
それと、旧石器時代と同様に縄文時代でも石器が使われたんだけど、バージョンアップされ、便利で使いやすくなったんだ。
どんな風にかわったの?
石器を磨いたんだよ。
磨いたってどうゆうこと?
磨いたというとわかりづらいね。研(と)いだといった方がわかるかな。石器って石だから表面がでこぼこしているよね。表面を石や砂で磨く(研ぐ)ことで滑らかになり切れ味が鋭くなったんだ。
包丁を砥石で研ぐのと同じね。
そう!このように磨いた石器を磨製石器(ませいせっき)と呼んでいる。縄文時代に使用された石器を紹介するね。イラストとセットにすると覚えやすいよ。
縄文時代の石器 | ||||
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石鏃(せきぞく) | 石匙(せきひ、いしさじ) | 打製石斧(だせいせきふ) | 磨製石斧(ませいせきふ) | 石皿(いしざら)と磨石(すりいし) |
弓矢の鏃(やじり) | 動物の皮をはぐ 肉を切る |
穴を掘る | 木の伐採 | 木の実をすりつぶす |
縄文時代になって弓矢が登場したことは説明したけど、その弓の先につける矢じりとして使用したのが石鏃。石匙は動物の皮をはいだり、肉を切るナイフとして使われた。上につまみのようなものがついているよね。
本当だ!なんかついてる。
つまみの部分に紐をつけて携帯していたと推測されているんだ。
旧石器時代のナイフ形石器につまみをつけた感じね!
石匙の大きさは5センチ前後なので、個人で携帯した小型の万能ナイフといったところだね。
打製石斧は旧石器時代にもあったよね。
そうだね。旧石器時代の打製石斧は木を伐採したり、土を掘ったりといろいろな用途で使用していたけど、縄文時代に入って切れ味が鋭い磨製石斧が登場したので、打製石斧は土を掘るなど使用方法が限定されたと考えられている。磨製石斧は木の伐採や加工に使われた。このように縄文時代になっても引き続き打製石器を使っていたんだ。すべて磨製石器にかわった訳ではないから注意してね。
縄文時代は打製石器と磨製石器両方使っていたのね。
縄文土器、弓矢、磨製石器の使用は縄文時代の大きな特徴だからテストにもよく出るよ。忘れないようにね。
OK!
採集
気候が暖かくなったことで植物にも大きな変化が起きた。針葉樹が減って広葉樹が増えたんだ。
針葉樹と広葉樹ってどんな植物?
植物は大きく分けると針葉樹と広葉樹がある。針葉樹は寒い地域でも育つことができる植物で、広葉樹は暖かい地域で育つ植物。さらに、葉を落とすかどうかで、落葉樹と常緑樹に分かれるんだ。秋から冬にかけて葉を落とすのが落葉樹で、葉を落とさない、もしくは数年で落とすのが常緑樹。縄文時代の温暖化で針葉樹が減って広葉樹が増えたことで食糧事情が改善されたんだ。
縄文時代の人たちは広葉樹を食べていたの?
そうじゃないよ。広葉樹からは堅果類(けんかるい)が採れるんだ。堅果類は堅い殻に包まれた果実(実)のことで、ざっくり言えばどんぐりのこと。クリ、マテバシイ、スダジイ、コナラ、ミズナラ、クヌギなど、ブナ科の広葉樹には、どんぐりが実るんだ。そのどんぐりを食べていたんだよ。
常緑広葉樹と落葉広葉樹どちらにもどんぐりが実るんだけど、西日本にはシイやカシの常緑広葉樹林が、東日本にはブナやナラの落葉広葉樹林が分布しているという特徴がみられる。常緑広葉樹は照葉樹(しょうようじゅ)とも呼ばれている。
ドングリってドングリの木から採れると思ってた。
勘違いしている人もいるけど、どんぐりの木なんてないよ。どんぐりが実る木の総称がどんぐりの木なんだ。
クリもドングリなの?
クリもブナ科の植物でどんぐりの一種だよ。縄文人はどんぐり以外にもクルミ、トチノミなどの木の実を食べていたことがわかっている。
クリとクルミは生で食べることができるけど、どんぐりやトチノミにはタンニンが含まれていて、多量に摂取すると下痢や腹痛を起こすことも・・・だから、アク抜きをする必要があるんだ。
どんぐりにはタンニンの量が少ないものもあるそうだから、生で食べることもできるけど、医療などない時代では激しい下痢や腹痛は命取りになるから、やはりアク抜きしたんだと思うよ。どんぐりのタンニンは水溶性なので水に漬けておくとアクは抜けるそうだよ。でも数週間から数ヶ月漬けておく必要があるからちょっと不便!そこで使用するのが土器!
なるほど!土器でどんぐりやトチノミを茹でてアクを抜いたのね!
そういうこと。土器で茹でることで短時間でアクを抜くことができたんだ。縄文クッキーって知ってる?
聞いたことがある!
縄文土器の付着物や炉の灰に残っていた炭化物を調べたところ、堅果類のデンプン質だと判明したんだ。このことから、縄文人はどんぐりを石皿と磨石(すりいし)ですりつぶして、粉末にしたものをこねて焼いたと推測され、これを縄文クッキーと呼んだんだ。
美味しいのかな?
イベントなどで再現される縄文クッキーには、肉や卵が使用されることが多いけど、本当にこれらの食材が入っていたかは不明なんだ。どんぐりはタンパク質と脂質が豊富に含まれている高カロリー食だから、縄文人にとって貴重な栄養源だったんだね。縄文時代の遺跡から貯蔵用の穴が見つかっているので採集したどんぐりを保存したんだろうね。貯蔵しておくことが可能になり食糧事情はだいぶ改善された。狩猟や漁労で獲物が捕れなくても木の実があるから飢えをしのげるようになったんだ。
漁労と貝塚
縄文時代の人々の食生活を支えていたのが狩猟と採集、そして漁労なんだ。
漁労って魚をとること?
魚だけじゃないよ。貝類や海藻類も含まれるんだ。縄文時代の遺跡からは、釣針や銛(もり)、ヤスが発見されている。
銛はわかるけど、ヤスってなに?
銛とヤスはどちらも獲物を突き刺して捕獲する漁具(ぎょぐ)なんだ。現在では投げて使うのが銛で、投げないのがヤスとされているけど、地域によっても違うんだ。遺跡から発掘される銛とヤスについては、見ただけで投げて使用されたかわからないので区別しないこともあるし、先端部分が柄から離れるものが銛(離頭銛 りとうもり)、離れないものをヤスと呼ぶこともある。これらの道具は動物の骨やシカの角(つの)を材料にしたんだ。骨と角を使用したから骨角器(こっかくき)と呼ばれている。
それと、遺跡からは丸木舟(まるきぶね)や錘(おもり)も見つかっているんだ。
丸木舟ってカヌーみたいな形をしたものだよね。
そうだね。大きな一本の木をくりぬいてつくった舟を丸木舟と呼んでいる。錘は土製の土錘(どすい)と石製の石錘(せきすい)がある。魚をとるときに使う網につけたと推測されている。漁網(ぎょもう)は腐敗して残らないんだけど、愛媛県の船ヶ谷遺跡(ふながたにいせき)からは縄文時代の漁網が出土したんだ。国内で唯一の発見例だからとても貴重だね。東京北区にある中里貝塚からはムクノキを材料にした丸木舟と土器の破片を利用した土器片錘(どきへんすい)が出土している。丸木舟に乗って網漁(あみりょう)をしていたんだね。
縄文時代の人は、丸木舟や骨角器、漁網を使って漁をしていたのね。どんな魚がとれたのかな?
貝塚を調べればわかるよ。
縄文時代の気候でも貝塚がでてきたよね。貝塚って縄文時代のゴミ捨て場のことでしょ。
そうだね。人や犬が埋葬されていることもあるので、単なるゴミ捨て場ではなく信仰に関係する場所では?とする説もあるんだ。貝塚という名前のとおり貝殻が捨てられているんだけど、サケ、スズキ、イワシ、マダイ、クロダイ、マグロ、カツオなど多くの種類の魚の骨も見つかっていて、動物の骨、植物なども発見されている。貝塚を調べることで当時の人たちが何を食べていたのかがわかるんだ。貝塚の骨が溶けずに残っているのは、旧石器時代の遺跡で説明した沖縄の化石人骨と同じ理由。
日本の土壌は酸性なので骨が溶けてしまうけど、貝殻はアルカリ性だから中和されて溶けにくくなる!でしょ。
よく覚えてたね。
当然でしょ!その気になればこんなものよ!
(すぐに調子にのる!・・・だったら)貝塚を最初に発見したのは外国人なんだけど名前知ってる?
1877年(明治10年)アメリカ人の生物学者モースが、横浜から新橋へ向かう汽車の窓から、貝塚を発見した。その後、本格的な調査、研究が行われ、日本の考古学がここから始まったんだ。旧石器時代で考古学を説明したけど覚えてる?
遺跡から発掘した遺物を調べる学問でしょ。
そう!遺跡から発掘された石器、土器、化石人骨などを調べて、当時の人たちの暮らしや文化を研究する学問なんだ。それと、モースはダーウィンの進化論を日本に初めて紹介した人物でもある。
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加曽利貝塚
千葉県の加曽利貝塚は日本最大級の貝塚なんだ。貝塚は輪(わ)のような形をした環状形と、馬の蹄(ひづめ)のような形をした馬蹄形(ばていけい)が多いんだ。加曽利貝塚は直径がおよそ140メートルもある環状形の北貝塚と、長径が約190メートルで馬蹄形をした南貝塚が発見されている。貝塚の断面を見学できる施設があって、北貝塚は発掘されたままの断面を、南貝塚ははぎ取った断面を見ることができるよ。実際に貝塚を間近で見ると、ハマグリ、アサリ、イボキサゴ、シオフキ、マガキなどの貝殻がぎっしり堆積していて、縄文時代の人がいろいろな種類の貝を食べていたことがわかるんだ。
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貝塚はどうして環状形や馬蹄形なの?
いいとこに気づいたね!貝塚の形は縄文時代の住居と密接な関係があるんだ。まずは住居の説明をして、その中で貝塚の形についても話をするね。
OK!
縄文時代の住居
ここまで説明してきたように、気候の温暖化でクリやどんぐりなど堅果類を採集できるようになったことで、動物を追って遠くまで移動する必要がなくなったから、定住が可能になり竪穴住居で生活するようになったんだ。
竪穴というぐらいだから穴を掘ったんでしょ。
竪穴住居は地面を掘って一段低くした床に柱を立て上に屋根をつけた住居。主柱の数は5~6本で梁(はり)や垂木(たるき)と呼ばれる部材をかけて強度を上げたと推測されている。床の中央には煮炊き用の炉があって、1棟の竪穴住居に4~5人が暮らしていたと考えられている。
縄文前期~中期には数棟の住居が集まり集落がつくられ、中には巨大な集落まで誕生した。青森県の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)からは、長さが約32メートル、幅が約10メートルもある大型竪穴建物跡が発見されたんだ。住居や集会所、作業場として使われたと推測されている。
凄いね!縄文時代にこんな大きな建物があったんだ!これだけの規模なら集落にはたくさんの人が住んでいたんでしょ。お墓とかはあるのかな?
もちろん!お墓もあるよ。縄文時代は亡くなった人をそのまま土中に埋葬したんだ。火葬ではなく土葬だね。三内丸山遺跡からはたくさんのお墓が見つかっているけど、大人と子どもは別々の場所に埋葬されていたんだ。なぜ別々にしたのか理由は不明だけど、大人は楕円形の穴に埋葬され手足は伸ばした状態だったと推測されている。子どもは土器の中に入れて埋葬したそうだよ。縄文時代の埋葬方法は手足を折り曲げた屈葬(くっそう)が一般的だけど、後期になると手足を伸ばした状態で埋葬する伸展葬(しんてんそう)も見られるようになってくる。縄文時代は1万年以上も続いたので、時期によって当然違いがでるし、独特の埋葬方法を行っていた地域もある。
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三内丸山遺跡
三内丸山遺跡は、青森県にある縄文時代前期~中期の大規模集落遺跡。直径と深さが約2メートルもある巨大な6つの柱穴と、直径約1メートルのクリの木柱が発見されたんだ。掘立柱(ほったてばしら)などの大型建物が建っていたと推測され、現在は大型掘立柱が復元されている。竪穴住居のところでも話したけど、長さが約32メートル、幅が約10メートルもある大型竪穴建物跡も発見されている。また、遺跡から出土したクリをDNA鑑定したところ遺伝的なばらつきがあまりなかったことから、 甘くて大きな実がなる樹を選別してクリを栽培していたのでは?と考えられているんだ。
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三内丸山遺跡のポイントは、巨大な柱穴跡(掘立柱跡)の発見、大型竪穴建物跡の発見、クリ栽培の痕跡の3つ!問題文や設問にこれらのワードが入っていたら三内丸山遺跡のことだよ。
ここまで見てきたように、縄文時代には大型の建物が建ち大規模な集落も存在していたんだ。なぜ三内丸山のような大きな集落ができたと思う?
狩猟、採集、漁労で食糧が確保できるようになり生活が安定したからじゃない?
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正解!気候が温暖になって木の実や魚介類が安定して採れるようになり、人口が増加したことで大規模な集落が形成されたんだ。ある程度の規模の集落は、中心に広場や墓地があってその周囲に竪穴住居が配置されているんだ。これを環状集落(かんじょうしゅうらく)と呼んでいる。
広場では会議や祭祀がおこなわれていたと推測されている。縄文時代は貧富の差があまりなかったので、このような形になったんじゃないかな。貝塚の形の答えもこれでわかるでしょ。
環状集落と関係があるってこと?
そうなんだ。ゴミ捨て場は家のすぐ近くにあったほうが便利でしょ。竪穴住居が環状に配置されていたから必然的に貝塚も環状形や馬蹄形になるという訳。環状集落は東日本で多く発見されている。
どうして東日本に多いの?
縄文時代の人口は中期がピークで日本全体で約26万人が暮らしていたんだ。西日本の人口は東日本の10分の1以下と推定されている。このような人口比率だから西日本では大きな集落が発見されていないんだ。ただし、九州では鹿児島県の上野原遺跡(うえのはらいせき)のような大規模な集落が発見されている。
どんぐりは西日本でも採れたんでしょ。食糧があるのに何で人口が少ないの?
東と西でどんぐりの収穫量に違いがあったのかは不明なんだ。なので、サケやマスが影響したのでは?とする説がある。サケは東日本のほうがたくさんとれるので、多くの人たちの生活を支えることができたとされているんだけど、批判的な意見も多く定説にはなっていないんだ。
サケって西日本でもとれるの?
現代ではサケの放流を行う自治体が増えているから九州でもサケが遡上するそうだよ。縄文時代にどのあたりまで遡上したのかはよくわかっていない。縄文時代後期~晩期には気候が寒冷になり東日本の人口が減少した。人口密度が高かったから食糧が不足して打撃を受けたんだね。一方、西日本では晩期になると人口が増えてくる。九州で稲作が始まったことが要因と考えられているんだ。
黒曜石と交易
縄文時代の人たちは必要なものを交易で手に入れていたと考えられているんだ。
石器で使用される黒曜石や装飾品で使われるヒスイは特定の場所からしかとれないけど、なぜか日本各地の遺跡から出土している。つまり交易していたのでは?と推測することができる。
旧石器時代でも黒曜石がでてきたよね。ガラス質で割ると刃のように鋭くなるから石器として使用されたんでしょ。
そうなんだ!黒曜石は産地によって成分が違うから出土した黒曜石を分析することで交易の範囲やルートが推定できるんだ。
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交易品の産地
黒曜石の産地として有名なのは、北海道では十勝岳 (とかちだけ)、白滝(しらたき)、置戸(おけと)の3か所。また、長野県霧ヶ峰高原(きりがみねこうげん)の和田峠 (わだとうげ)、東京都の神津島(こうづしま)、熊本県の阿蘇山(あそさん)などがある。三内丸山遺跡から出土した黒曜石は、青森産の他に北海道の白滝や十勝、長野県の霧ヶ峰産と判明した。特に長野県産の黒曜石は良質で人気があったようだね。このように縄文時代の人々は必要なものを交易によって手に入れていたんだ。
黒曜石以外にも石器の原料として使用されたのがサヌカイトで、サヌカイトは讃岐石(さぬきいし)とも呼ばれている。サヌカイトの産地は香川県の白峰山(しらみねさん)や、大阪府と奈良県の境に位置する二上山(にじょうざん)が有名だね。西日本や九州の遺跡からはサヌカイトの石器がたくさん発見されているんだ。
黒曜石とサヌカイトを覚えればいいの?
交易品は他にもあるよ。接着剤として使われたアスファルト。壊れた土器を修復したり、石器を固定したりするときに使われたんだ。秋田県の槻木(つきのき)の他、東北地方一帯で産出されている。アスファルトが手に入らない地域では漆を使用したそうだよ。
それと、装飾品の材料になったヒスイや琥珀(こはく)も交易で取引されていた。ヒスイは硬玉(こうぎょく)とも呼ばれる鉱物で新潟県の姫川(ひめかわ)、糸魚川(いといがわ)が産地。琥珀は植物から分泌された樹液が固まり化石化したものなんだ。なので琥珀は鉱物ではないよ。琥珀の産地は岩手県の久慈(くじ)が有名だね。
黒曜石やヒスイ、琥珀って今でもネックレスやペンダントになっているよね。
黒曜石は石器のイメージしかなかったけど、現在は装飾品になってるんだ!知らなかったよ。ヒスイと琥珀については縄文時代の人たちも加工して身に着けていたんだ。遺跡からはヒスイ製の耳飾り(みみかざり)や勾玉(まがたま)、丸玉や雫形に加工された琥珀がよく出土する。魔除け(まよけ)など呪術具(じゅじゅつぐ)としての意味があったと推測されているんだ。魔除けがでたついでに縄文時代の信仰について話をするね。
交易品と産地はテストによくでるから必ずおぼえてね!地図でも答えられるようにね。
交易品と産地 | ||
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品名 | 産地 | 用途 |
黒曜石 | 北海道(十勝岳、白滝、置戸)、長野県(和田峠、霧ヶ峰)、東京都(神津島)、熊本県(阿蘇山) | 石器 |
サヌカイト | 香川県(白峰山)、大阪府と奈良県境(二上山) | 石器 |
ヒスイ(硬玉) | 新潟県(姫川、糸魚川) | 耳飾りや勾玉などの装飾品 |
琥珀 | 岩手県(久慈) | 装飾品 |
アスファルト | 秋田県(槻木)など東北地方一帯 | 接着剤 |
中型・小型の動物をとるための狩猟道具 | 弓矢 |
その狩猟道具の矢じりとして使用された石器 | 石鏃 |
磨製石器の特徴 | 縄文時代から使用された石器で磨いて(研いで)切れ味を鋭くした |
小型のナイフとして使用された石器 | 石匙 |
木の実をすりつぶすための石器 | 石皿、磨石 |
木の伐採や加工に使用された石器 | 磨製石斧 |
動物の骨などで作った漁具 | 骨角器 |
大森貝塚を発見した人物 | モース |
千葉県にある国内最大級の貝塚 | 加曽利貝塚 |
縄文時代の住居の名称 | 竪穴住居 |
巨大な6つの柱穴跡が発見された青森県の遺跡 | 三内丸山遺跡 |
縄文時代の一般的な埋葬法 | 屈葬 |
石器の原料になった石 | 黒曜石、サヌカイト |
その石の長野県と東京都の産地 | 長野県の霧ヶ峰(和田峠)、東京都の神津島 |
硬玉とも呼ばれる石 | 翡翠(ヒスイ) |
縄文時代の信仰
縄文時代の人々は自然物には霊魂が存在していると思っていた。この考えをアニミズムというんだ。旧石器時代に比べれば食糧事情は改善されたとはいえ、やはり狩猟、採集の生活は不安定だし、病気やケガ、自然災害など多くの脅威にさらされていた訳だから、厳しい環境ということにかわりはない。
縄文時代の人たちも何かに頼りたかったのかな?
そうだね。さまざまな自然現象には霊魂が宿ると考え、呪術によって災いを避け、自然からの恵みを得ようと考えたんじゃないかな。
あと、厳しい自然環境下での集団生活にはルールも必要なんだ。成人になるときには抜歯を行う風習があった。虫歯になった歯を抜くだけでも痛いのに、健康な歯を抜くわけだから相当痛いはず!しかも麻酔なしで・・・ 痛みに耐えるという共通の儀式を通過することで絆が結ばれたんだね。
縄文人ってけっこう大変!かわいい振袖着るだけで成人になれる私たちって幸せね♪
そうだ!土偶の説明をするのをすっかり忘れてた。
土偶なら私も知ってる!かわいい形や宇宙人のような姿をしたものもあるよね。
土偶は土で作った人形。宇宙人みたいな土偶は遮光器土偶(しゃこうきどぐう)と呼ばれている。遮光器は北極圏で使用しているゴーグルのことで、土偶の目の部分がゴーグルのような形をしているからそう名付けられたんだ。遮光器土偶は「縄文時代の始まり」で説明した亀ヶ岡文化を代表する土偶だよ。土偶は女性のかたちをしたものが多いけど、ハート形やネコの顔をしたようなものもあり、バリエーションが豊富で面白いよね。
土偶って何をするものなの?
土偶は何の目的で作られたのかわかっていないんだ。壊れた状態で発見されるものが多いから身代わりとする説があり、その他にも安産祈願、豊作祈願、魔除け、お清め、死者への鎮魂など諸説あって今のところこれだ!という決定打がない。最近では植物だとする新たな説が発表され話題になったんだ。
遺跡からは土偶の他に石棒(せきぼう)も見つかっているけど、これらは縄文時代の信仰と深い関わりがあり、呪術で使用されたと考えられている。石棒は男性の性器を模しているから、子孫繁栄や安産を願って作られたんじゃないかな。
呪術は超自然的な力によって病気を治したり、願いを叶えたりする行為で、まじないや魔法、魔術なんかと同じ意味。呪術を行う者は呪術師、シャーマン、巫女(みこ)と呼ばれ、特別な能力を持った人物だとされている。
縄文時代の遺跡
旧石器時代と同じく縄文時代も文字の記録がないので遺跡が重要なんだ。ここまでの説明でいくつかの遺跡がでたけど、それらも含めて整理しておくよ。
縄文時代の遺跡で国の特別史跡に指定されているのは、三内丸山遺跡、加曽利貝塚、大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)、尖石遺跡(とがりいしいせき)の4つ。特別史跡は、歴史上・学術上の価値が高いと日本政府(文部科学大臣)が判断した史跡なんだ。
三内丸山遺跡と加曽利貝塚はでてきたけど、あとの2つはどんな遺跡なの?
大湯環状列石は秋田県鹿角市(かづのし)にある縄文時代後期の遺跡。列石とは石を並べて配置するという意味で、多数の石が環状に置かれていて不思議な構造をしているんだ。大湯環状列石では直径が約44メートルの野中堂(のなかどう)と約52メートルの万座(まんざ)の2つの環状列石が確認されている。「日時計状組石(ひどけいじょうくみいし)」と呼ばれる立てた石が配置されているんだけど、名称のとおり日時計の役割りをしていたのでは?と推測されているんだ。環状列石の周囲からは建物や貯蔵穴も発見されているよ。縄文時代の人々の信仰や精神文化を解明する手掛かりになる重要な遺構(いこう)なんだ。
なんで石を並べたのかな?
お墓や祭祀を行った場所だと考えられている。環状列石の遺跡はストーンサークルとも呼ばれているよ。
もうひとつの尖石遺跡はどんな遺跡なの?
尖石遺跡は長野県にある縄文時代中期の遺跡で、縄文時代の集落研究のさきがけとなった遺跡なんだ。隣接する与助尾根遺跡(よすけおねいせき)も特別史跡に追加指定され、この一帯でおよそ220軒の竪穴住居址が確認されている。尖石遺跡のある茅野市(ちのし)の別の遺跡からは国宝に指定されている「縄文のビーナス」と「仮面の女神(めがみ)」が出土していて、縄文時代にこの地域が繁栄していたことを示しているんだ。
「縄文のビーナス」と「仮面の女神(めがみ)」って名前がステキ!
こちらが「縄文のビーナス」だよ。長野県茅野市の棚畑遺跡(たなばたけいせき)から1986年に出土したんだ。大きく張り出したお腹とお尻は、妊娠した女性の姿を表していると考えられている。土偶は壊れていたり、一部が欠けている状態で発見されることが多いけど、この「縄文のビーナス」は、環状集落の中央にある広場に横たわる姿勢で埋められていて、完全な形で出土したんだ。造形美の美しさと、縄文時代の暮らしや信仰を解明するための史料的価値が認められ、1995年国宝に指定されたんだ。
お尻と太ももあたりがデフォルメされていてどっしり感が凄いけど、曲線が美しくてなんか癒される~。
他の遺跡についても簡単に紹介するね。大平山元遺跡は最初に説明したとおり、日本最古とされる土器片が発見された遺跡。亀ヶ岡石器時代遺跡は遮光器土偶や漆器など精巧で芸術性の高い遺物が出土した遺跡。上野原遺跡は、鹿児島県にある縄文時代早期の大型集落で、52軒の竪穴住居群が発見されたんだ。三内丸山遺跡よりも古く、西日本にも大型集落があったとして注目されている。
縄文時代は東日本のほうが人口が多かったのに、なんで上野原遺跡に大型集落ができたのかな?不思議ね。
そのあたりは解明されていないんだ。縄文時代は東日本のほうが文化水準が高かったとされているけど、上野原遺跡の研究が進めば認識が変わるかもしれないね。遺跡は以上で、あとは貝塚だね。大森貝塚と加曽利貝塚は説明したので、中里貝塚、姥山貝塚、鳥浜貝塚について話をするよ。
中里貝塚って丸木舟のところででてきたよね。
おっ!説明したことをちゃんと覚えてるね!そうなんだ。丸木舟と土器片錘が発見されたことをさっき話したけど、他にも重要なポイントがあるんだ。4メートルを超す貝層と、その貝層がほぼハマグリとマガキで構成されていることなんだ。
一般的な貝塚は貝殻の他に魚の骨や動物の骨が混ざっていることが多いけど、この中里貝塚からは、そういった遺物がほとんど出てこないんだ。
ほぼハマグリとマガキって不思議だね。どうしてなの?
生活していた痕跡がないので加工場だったのでは?と考えられている。ハマグリとマガキを干し貝にして交易品にしていたんじゃないかな。
ハマグリもカキも美味しいよね!なんか食べたくなっちゃった。
姥山貝塚は縄文時代中期から後期の馬蹄形貝塚で、140体を超える化石人骨と環状集落が発掘されたんだ。鳥浜貝塚は縄文時代草創期~前期の貝塚で植物の種子が大量に発見された。ヒョウタンやエゴマなど植物を栽培していたと考えられている。
三内丸山遺跡ではクリの栽培が行われていた痕跡があるんでしょ。鳥浜貝塚でも同じように植物を栽培していた証拠が見つかったとすると、各地で植物の栽培が行われていた可能性があるよね。あっそれと、ヒョウタンって食べ物だったの?
ヒョウタンは食べたのではなく容器として使ったとされている。小さいヒョウタンなら中に水を入れて携帯することもできるよね。
古代の水筒ね!
エゴマ(荏胡麻)はシソ科の植物で、葉を食べることもできるし、絞って油をとることもできる。漆を溶(と)くときの油として使われたとされ、鳥浜貝塚からは朱色(しゅいろ)の漆を塗った木製容器などが出土しているんだ。それと、丸木舟も発見されているよ。
縄文時代の重要な遺跡 | ||
---|---|---|
遺跡名 | 所在地 | 特徴 |
三内丸山遺跡 | 青森県 | 6つの柱穴、大型竪穴建物跡、クリの栽培 |
大平山元遺跡 | 青森県 | 日本最古とされる土器片が発見された |
亀ヶ岡石器時代遺跡 | 青森県 | 遮光器土偶や漆器など精巧で芸術性の高い遺物が発見された |
大湯環状列石 | 秋田県 | 大型の配石遺跡、ストーンサークル |
尖石遺跡 | 長野県 | 縄文時代中期の集落遺跡 |
上野原遺跡 | 鹿児島県 | 縄文時代早期の大規模集落 |
大森貝塚 | 東京都 | モースが発見、日本の考古学の始まり |
中里貝塚 | 東京都 | 貝の加工場と推測され、丸木舟と土器片錘が発見された |
加曽利貝塚 | 千葉県 | 日本最大級の貝塚で環状形と馬蹄形の両方の貝塚が発見された |
姥山貝塚 | 千葉県 | 多数の化石人骨と環状集落跡、馬蹄形貝塚が発見された |
鳥浜貝塚 | 福井県 | ヒョウタンなどの種子、丸木舟、漆を塗った木製容器の発見 |
縄文時代と新石器時代
最後に縄文時代と新石器時代について話をするね。日本史では旧石器時代の次は縄文時代だけど、世界史(ヨーロッパ)では旧石器時代の次は新石器時代なんだ。
そう!そのあたりがすごくややこしい!
世界史の場合、土器と磨製石器の使用、農耕や牧畜を開始して集落を形成した時代を新石器時代と呼んでいる。日本では土器と磨製石器を使っていたけど、本格的な農耕や牧畜はおこなわれていないんだ。だから、新石器時代に該当しない。
なるほど!だから旧石器時代の次は新石器時代ではなく縄文時代なのね。
縄文時代の生活の基盤は狩猟、採集、漁労で、牧畜は行われず、農耕については一部の地域で行われていた可能性もでてきたけど、本格的な農耕が始まるのは次の弥生時代からなんだ。これを縄文文化と呼んでいる。 縄文文化はテストにでるからしっかり覚えてね。
縄文文化は狩猟、採集、漁労が生活の基盤で、牧畜と本格的な農耕は行われていないのが特徴なのね。ちなみに日本で牧畜が開始されたのはいつからなの?
弥生時代や古墳時代とする説があるけど、はっきりしたことはわかっていないんだ。
日本の縄文時代(縄文文化)と世界史の新石器時代の違いを答えられるようにね。
アニミズム | 自然物には霊魂が存在しているという考え |
成人になるための風習 | 抜歯 |
土製の人形 | 土偶 |
石棒 | 男性の性器を模した石製品の呪術具 |
環状列石が発見された秋田県の遺跡 | 大湯環状列石 |
環状集落研究のさきがけになった長野県の遺跡 | 尖石遺跡 |
鹿児島県の大規模集落遺跡 | 上野原遺跡 |
植物の種子が発見された福井県の貝塚 | 鳥浜貝塚 |
貝の加工場と推測される東京都の貝塚 | 中里貝塚 |
多数の化石人骨と環状集落跡が発見された千葉県の貝塚 | 姥山貝塚 |
新石器時代 | 土器と磨製石器の使用、農耕や牧畜を開始して集落を形成した時代 |
縄文文化 | 土器と磨製石器の使用、狩猟、採集、漁労が生活の基盤で、本格的な農耕や牧畜を行っていない段階の文化 |
縄文時代 -小テスト-
縄文土器について正しいものを1つ選んでください。
- (a)縄文土器は厚手で赤褐色のものが多い。
- (b)縄文時代早期の尖底土器はかまどに差して使用したと推測されている。
- (c)縄文時代中期の亀ヶ岡式土器は炎のような形状のデザインが特徴である。
- (d)豆粒文土器は縄文時代草創期に使用された。
答えはこちら
- 正解(d)
- (a)赤褐色ではなく黒褐色です。
- (b)かまどではなく炉です。
- (c)亀ヶ岡式土器ではなく火焔土器です。
亀ヶ岡文化の説明で正しいものを1つ選んでください。
- (a)縄文時代晩期に西日本を中心に形成した文化である。
- (b)個性的なデザインのはにわが特徴。
- (c)漆を塗った精巧な土器が特徴。
- (d)北海道の亀ヶ岡遺跡から出土した土器にちなんで亀ヶ岡文化と呼ばれている。
答えはこちら
- 正解(c)
- (a)西日本ではなく北海道の南西部と東北地方一帯です。
- (b)はにわではなく遮光器土偶です。
- (d)北海道ではなく青森県です。
縄文時代の気候で間違っているものを1つ選んでください。
- (a)縄文時代は温暖な気候で気温が上がり続けた。
- (b)海面の上昇によって海が陸地に侵入することを縄文海進と呼んでいる。
- (c)海面の上昇によって現在の栃木県や群馬県にも貝塚が形成された。
- (d)縄文時代後期から晩期にかけて気候が寒冷化して東日本の人口は減少した。
答えはこちら
- 正解(a)
- (a)縄文時代は温暖な気候ですが、ヤンガードリアス期と呼ばれる寒の戻りや、後期から晩期にかけて寒冷化が起きました。
縄文時代の狩猟について間違っているものを1つ選んでください。
- (a)縄文時代はマンモスやナウマンゾウなどの大型動物を狩猟した。
- (b)弓矢の矢じりには石鏃が使われた。
- (c)中・小型動物を狩猟するため弓矢が使用された。
- (d)狩猟の対象になったシカやイノシシの骨が貝塚から発見されている。
答えはこちら
- 正解(a)
- (a)マンモスやナウマンゾウは旧石器時代を代表する大型動物です。縄文時代にはシカやイノシシなどの中・小型動物が狩猟の対象になりました。
縄文時代の漁労について正しいものを1つ選んでください。
- (a)漁では銛とヤスを使い、網はまだ使用していなかった。
- (b)大きな一本の木をくりぬいて作った筏(いかだ)を使い漁をしていた。
- (c)動物の骨を加工して釣り針などの漁具を作っていた。
- (d)漁の対象になった魚はサケとマスが大部分を占めている。
答えはこちら
- 正解(c)
- (a)縄文時代にはすでに網漁を行っていました。愛媛県の船ヶ谷遺跡から縄文時代の漁網が発見され、各地の遺跡からは網につけた錘が出土しています。(b)筏ではなく丸木舟(d)マダイ、クロダイ、スズキなど様々な種類の魚の骨が各地の貝塚から見つかっています。
縄文時代の採集で間違っているものを2つ選んでください。
- (a)気候が暖かくなり堅果類を採集することができた。
- (b)どんぐりなどの木の実を石匙ですりつぶして粉にした。
- (c)土器で茹でてどんぐりのアク抜きをした。
- (d)西日本には落葉広葉樹林が多く分布している。
答えはこちら
- 正解(b)と(d)
- (b)石匙ではなく石皿や磨石を使いどんぐりを粉にしました。
- (d)西日本には常緑広葉樹林(照葉樹林)が多く分布しています。
次の文章を読んで()の中に入る正しい語句の組み合わせを(1)~(6)から選んでください。
縄文時代の人々は生活に必要なものを交易で手に入れていました。そのことは遺跡から出土する遺物の成分を分析することでわかります。青森県の三内丸山遺跡では石器の原料となる黒曜石を北海道の(a)や長野県(b)から入手していました。青森県内でも黒曜石はとれますが、切れ味や美しさなど、より品質の良いものを求めて交易していたことが推測されます。三内丸山遺跡からは新潟県(c)産のヒスイや岩手県(d)産の琥珀も発見されていて、交易の範囲が広かったことをうかがい知ることができます。
- (1)-(a)十勝(b)野尻湖(c)糸魚川(d)盛岡
- (2)-(a)白滝(b)霧ヶ峰(c)糸魚川(d)久慈
- (3)-(a)置戸(b)和田峠(c)姫川(d)雫石
- (4)-(a)稚内(b)霧ヶ峰(c)佐渡(d)久慈
- (5)-(a)十勝(b)飯田(c)姫川(d)盛岡
- (6)-(a)白滝(b)野尻湖(c)佐渡(d)久慈
答えはこちら
- 正解(2)
- 三内丸山遺跡の黒曜石の産地は、北海道では白滝や十勝産、長野県では霧ヶ峰(和田峠)産が確認されています。ヒスイは新潟県の糸魚川産、琥珀は岩手県久慈産です。
次の文章を読んで()の中に入る正しい語句の組み合わせを(1)~(6)から選んでください。
縄文文化とは、(a)、(b)、(c)を生活の基盤とする時代の文化です。この時代に登場した土器と磨製石器は人々の生活を大きく変えました。(b)したどんぐりを土器で煮てアクをとり粉にすることで保存が可能になったのです。獲物を追いかけて移動する必要がなくなり、やがて竪穴住居で定住生活が始まりました。竪穴住居の柱は木製で、これらの部材は磨製石斧で木を伐採、加工して作られました。住居内には炉があり、縄文時代草創期~早期に多く見られる(d)は炉に突き刺して使用したと考えられています。複数の住居が集まり集落が形成されるとその周囲にゴミ捨て場である(e)が築かれ、(e)からは(c)で使用された釣り針や銛などが発見されることがあり、これらの道具は動物の骨や角で作られたものが多く(f)と呼ばれています。温暖化によりマンモスやナウマンゾウが絶滅したかわりにシカやイノシシなどの中・小型動物が生息範囲を広げ(a)の対象になりました。これらの動物を狩るための道具として弓矢が登場し、矢じりには黒曜石などを原料とする石鏃が使われました。
- (1)-(a)狩猟(b)採集(c)漁労(d)尖底土器(e)貯蔵穴(f)骨角器
- (2)-(a)牧畜(b)漁労(c)採集(d)火焔土器(e)貝塚(f)青銅器
- (3)-(a)狩猟(b)漁労(c)採集(d)火焔土器(e)貯蔵穴(f)青銅器
- (4)-(a)牧畜(b)狩猟(c)農耕(d)火焔土器(e)貯蔵穴(f)骨角器
- (5)-(a)狩猟(b)採集(c)漁労(d)尖底土器(e)貝塚(f)骨角器
- (6)-(a)牧畜(b)農耕(c)採集(d)尖底土器(e)貝塚(f)青銅器
答えはこちら
- 正解(5)
- 縄文文化とは、狩猟、採集、漁労を生活の基盤とする時代の文化です。竪穴住居の炉に突き刺して使用した土器は底が尖っている尖底土器で、自立しないことから煮炊き用と考えられています。コミ捨て場である貝塚からは貝殻の他に動物の骨、角、牙で作った骨角器と呼ばれる漁具も多数発見されています。
縄文時代の交易品である黒曜石とサヌカイトの産地について、正しいものの組み合わせを(1)~(6)の中から1つ選んでください。
- ①二上山
- ②白峰山
- ③阿蘇山
- (1)①c-②d-③h
- (2)①b-②e-③g
- (3)①a-②d-③h
- (4)①c-②d-③e
- (5)①a-②b-③g
- (6)①b-②e-③f
答えはこちら
- 正解(2)
- 二上山は大阪府と奈良県の境なのでbです。aは京都府と兵庫県の境、cは奈良県と和歌山県の境です。白峯山は香川県なのでeです。dは徳島県です。阿蘇山は熊本県なのでgです。fは福岡県で、hは宮崎県です。二上山はb、白峰山はe、阿蘇山はgとなり(2)が正解になります。
①~③に該当する縄文時代の遺跡の正しい組み合わせを(1)~(6)の中から1つ選んでください。
- ①巨大な2つの環状列石、ストーンサークル
- ②縄文時代前期~中期の大規模集落遺跡、巨大な柱穴跡とクリ栽培の痕跡
- ③ヒョウタンなどの種子、丸木舟の発見
- (1)①c-②d-③e
- (2)①g-②a-③h
- (3)①h-②a-③g
- (4)①b-②a-③f
- (5)①f-②a-③d
- (6)①b-②h-③f
答えはこちら
- 正解(4)
- ①は秋田県の大湯環状列石、②は青森県の三内丸山遺跡、③は福井県の鳥浜遺跡です。aは青森県、bは秋田県、cは岩手県、dは山形県、eは宮城県、fは福井県、gは岐阜県、hは長野県です。b-a-fの組み合わせで(4)が正解になります。
参考文献
- 詳説日本史改訂版 山川出版
- 最新日本史 明成社
- 高等学校日本史B改訂版 清水書院
- センター試験過去問レビュー日本史B 河合出版
- 東大の日本史27カ年[第6版] 教学社
- 縄文時代を知るための110問題 新泉社
- 縄文人のくらし大研究-衣食住と心をさぐろう!-(楽しい調べ学習シリーズ) PHP研究所
- 縄文人も恋をする!?-54のQ&Aで読みとく縄文時代- ビジネス社
- 知られざる縄文ライフ-え?貝塚ってごみ捨て場じゃなかったんですか!? 誠文堂新光社
- 歴史ごはん-食事から日本の歴史を調べる 第1巻 縄文~弥生~奈良時代の食事 くもん出版
- 縄文時代の歴史 講談社
- 縄文の生活誌 講談社
- 海を渡った縄文人-縄文時代の交流と交易 小学館
- 黒耀石の原産地を探る・鷹山遺跡群 新泉社
- 黒曜石3万年の旅 日本放送出版協会
- さらにわかった!縄文人の植物利用 新泉社
- 縄文海進-海と陸の変遷と人々の適応- 冨山房インターナショナル
- 土偶を読む-130年間解かれなかった縄文神話の謎 晶文社
- 土偶と石棒-儀礼と社会ドメスティケーション 雄山閣
- すぐわかる日本の呪術の歴史-呪術が日本の政治・社会を動かしていた 縄文時代から現代まで 東京美術
- 考古調査ハンドブック24 環状列石 ニューサイエンス社
画像提供、画像撮影地
※爆点日本史編集部が撮影した写真および提供写真は博物館様、関係者の皆様から許可をいただき掲載しています。