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1863年薩摩藩と会津藩が攘夷派を京都から追放した事件は?

1863年薩摩藩と会津藩が手を組み長州藩を中心とする急進的な攘夷派を京都から追放しました。この事件の名称を答えてください。

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八月十八日の政変です。

文久3年5月10日(1863年)下関砲撃事件で攘夷を実行した長州藩は、孝明天皇の大和行幸を画策して幕府にゆさぶりをかけるとともに、朝廷内の攘夷派公家を動かし政治の主導権を握ろうとします。

長州藩の影響力が強まることを懸念した薩摩藩と会津藩は、諸藩にも働きかけ御所の九つの門を閉ざし長州藩と攘夷派公家を朝廷から閉め出しました。

三条実美(さんじょうさねとみ)ら攘夷派公家7名は参内が禁止され長州へ落ち延びていきました。これを「七卿落ち(しちきょうおち)」といいます。

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