豊臣秀吉に関連する図録紹介として、前々回は京都の都市改造、前回は桃山文化を取り上げました。今回は視点を山陰の因幡へ移し、鳥取市歴史博物館で開催された特別展「因幡×豊臣~豊臣政権と因幡の大名~」の図録を紹介します。
鳥取城攻め後の因幡には、宮部継潤(みやべけいじゅん)や亀井茲矩(かめいこれのり)といった豊臣秀吉に近い大名が入りました。豊臣政権期の因幡は、山名氏の時代と池田家の時代の間にある短い時期ですが、この図録を読むと、鳥取城の兵糧攻め、因幡衆の動き、九州攻め、関ヶ原合戦後の変化までを、書状や絵図を通して追うことができます。
- 因幡×豊臣~豊臣政権と因幡の大名~
- 鳥取城 兵糧攻め
- 図録の見どころ
- 鳥取城攻めから因幡の中世の終わりを読む
- 吉川元春書状で見る救援要請と海上の動き
- 宮部継潤と亀井茲矩から見る因幡衆
- 九州攻めと宮部継潤の代官職
- 関ヶ原合戦後の因幡衆と宮部家のその後
- 135点の図版と資料翻刻15点で史料を確認できる
- 図録の詳細と読後の感想
- 図録情報
- 図録 目次
- 図録を読み終えて

因幡×豊臣~豊臣政権と因幡の大名~
因幡×豊臣~豊臣政権と因幡の大名~は、鳥取城攻めから関ヶ原合戦後までの因幡を、宮部継潤、亀井茲矩、因幡衆を中心にたどる図録です。96頁に135点の図版を収録し、巻末の資料翻刻では、掲載された書状などのうち15点が活字化されています。本文は図版中心で、後半の資料解説を読みながら内容を確認していくタイプの一冊です。
豊臣秀吉を京都や桃山文化から見る図録とは違い、この図録では、豊臣政権が地方の大名をどのように組み込み、合戦や支配の現場で動かしていったのかを因幡から見ることができます。鳥取城攻めを調べたい人、戦国時代の鳥取に関心がある人、書状や布陣図を手がかりに合戦を読みたい人に向いています。
鳥取城 兵糧攻め
天正九年、1581年の鳥取城攻めは、羽柴秀吉による中国攻めのなかで、鳥取城の兵糧攻めとして語られる戦いです。鳥取城では毛利方の吉川経家(きっかわつねいえ)が籠城し、秀吉は鳥取城の東にあたる本陣山(太閤ヶ平 たいこうがなる)に本陣を置き、城の周囲に陣城を築いて包囲しました。
兵糧攻めは、城内へ食料や物資を入れさせず、外からの救援を届かせないようにする戦法です。鳥取城攻めでは、鳥取城、丸山城(まるやまじょう)、雁金尾城(かりがねおじょう)、賀露(かろ)の港、鹿野城(しかのじょう)といった場所の関係が重要になります。山城を囲む陣城、海からの補給、毛利方の救援要請が重なり、合戦は鳥取城の城内だけで完結しない広がりを持っていました。
鳥取城をめぐる戦いは、後世に厳しい籠城戦として語られてきました。ただ、この図録を読むうえで押さえておきたいのは、悲惨さだけではありません。補給をめぐる動き、支城の位置、海上交通、書状で伝えられる救援要請を合わせて見ることで、秀吉の兵糧攻めが、鳥取城周辺の支城や港、海上交通まで視野に入る包囲戦だったことが見えてきます。
そのため、図録に掲載された布陣図や吉川元春(きっかわもとはる)の書状は、鳥取城攻めを理解するうえで大きな手がかりになります。人物の名前を追うだけでなく、どこに軍勢がいて、どの道が断たれ、どこから救援を送ろうとしたのか。地名と資料を結びながら読むと、鳥取城攻めの輪郭がつかみやすくなります。
図録の見どころ
鳥取城攻めから因幡の中世の終わりを読む
第1部 天正九年鳥取城攻めと因幡の大名では、因幡国の大きな転換点として鳥取城攻めが扱われます。図録では、山名氏が長く領国としてきた因幡が、羽柴秀吉による鳥取城攻めを経て変化し、織田・羽柴方に仕えていた武将たちが入ってくる流れを整理しています。
この章で見ておきたい資料が、羽柴秀吉鳥取城攻布陣図です。天正九年の鳥取城攻めにおける両軍の布陣を描いた資料で、鳥取城、丸山城、雁金尾城、宮部継潤の動きが読みどころになります。図録では、雁金尾城を宮部継潤が攻め落とし、鳥取城と丸山城の連絡を遮断したとされることにも触れています。
この資料を見ると、鳥取城攻めが一つの城を囲むだけの出来事ではなく、周辺の城や陣地をめぐる戦いだったことが伝わります。本文だけで追うと複雑になりやすい地名や軍勢の動きも、布陣図を見ながら確認できるため、鳥取城攻めを地理的に理解したい人には手元に置いて読み返したいページです。
吉川元春書状で見る救援要請と海上の動き
この図録には書状資料が多く掲載されています。なかでも、吉川元春が山縣善右衛門尉(やまがたぜんえもんのじょう)に宛てた書状は、鳥取城救援をめぐる毛利方の動きを知るうえで重要な資料として紹介されています。
七月十一日付の吉川元春書状では、羽柴勢の動きを伝えながら、鳥取城支援のために船を出すよう命じています。翌十二日付の書状でも、上勢の進軍を受けて、警固船を用意するよう求めています。さらに七月十七日付の書状では、秀吉方が鳥取城の包囲網を築き、賀露の港が押さえられた情報が元春に届いていたことが示されます。
図録の資料解説では、細川幽斎(ほそかわゆうさい)の家臣である松井康之(まついやすゆき)が丹波水軍を率いて賀露を占拠していたこと、その後に伯耆方面へ水軍を進め、泊城に攻め込み、城と船六十五艘を破却したことにも触れています。鳥取城の兵糧攻めは、陸の包囲だけでなく、海上の補給路をどう押さえるかという問題でもありました。
書状を通して読むと、合戦の現場に近い切迫感が見えてきます。元春が船や水夫の手配を求める文面は、毛利方が鳥取城救援を急いでいたことを伝えています。図録を買う価値は、こうした文書を図版で確認し、後半の資料解説で背景を追えるところにあります。
宮部継潤と亀井茲矩から見る因幡衆
鳥取城攻め後の因幡を考えるうえで中心になる人物が、宮部継潤と亀井茲矩です。図録では、鳥取城に入った宮部継潤、鹿野城に入った亀井茲矩を中心に、豊臣政権期の因幡が紹介されています。
この二人は、秀吉に近い大名として位置づけられ、天下統一へ向かう合戦にも因幡衆として参加していきます。鳥取では、戦国時代の山名氏や江戸時代の池田家が取り上げられる機会は多い一方、その間にあたる豊臣政権期の因幡は見えにくくなりがちです。この図録は、その短い時代を正面から扱っています。
読みどころは、宮部継潤や亀井茲矩を個別の武将として見るだけでなく、因幡に入った大名たちが豊臣政権のなかでどのように動いたのかを追える点です。前回紹介した黄金と侘び 秀吉展が秀吉と桃山文化を広く眺める図録だとすれば、本書は豊臣政権と地方大名の関係を、因幡という地域から見る図録といえます。
九州攻めと宮部継潤の代官職
第2部 豊臣秀吉の合戦と因幡衆では、因幡衆が豊臣秀吉の合戦や政権運営のなかでどのように位置づけられていたのかが扱われます。そのなかで目を引くのが、九州攻めと宮部継潤に関する資料です。
駒井日記の文禄二年閏九月十四日の記事では、豊後の検地帳が到来したことが記されています。図録の資料解説では、豊後の石高四十二万石のうち、当面は半分程度を豊臣家の蔵入地とし、宮部継潤が代官として管理することになったと紹介されています。
ここから見えてくるのは、宮部継潤が因幡を支配する大名であるだけでなく、豊臣政権の支配実務にも関わっていたという点です。図録では、継潤が因幡支配を行うほか、豊後国や美濃国池田郷の代官職を任されていたことが整理されています。
この章を読むと、因幡の大名を地方史の枠だけで見るのではなく、九州攻め、検地、蔵入地、代官職といった豊臣政権の仕組みに結びつけて考えられます。鳥取城攻め後の因幡が、秀吉の天下統一と政権運営のなかに組み込まれていく流れを押さえられる箇所です。
関ヶ原合戦後の因幡衆と宮部家のその後
図録は、鳥取城攻めから始まる豊臣期の因幡を、関ヶ原合戦後まで扱っています。宮部継潤や亀井茲矩を中心とした因幡衆は、豊臣政権の合戦に参加していきますが、その流れは関ヶ原合戦を経て大きく変わります。
第2部 第4章 関ヶ原合戦と因幡衆のその後では、豊臣政権期の因幡衆が終わりを迎えていく過程が関連資料から紹介されます。因幡には新たな大名家が入り、江戸時代へ移っていきます。
藤堂高虎書状も、この流れのなかで目を引く資料です。宮部長熙(みやべながひろ)が因幡の所領を追われた後、南部藩の預かりとなり、宮部家の一族や家臣が分かれていったことが資料解説で紹介されています。高虎と宮部継潤の関係にも触れられており、戦いの勝敗後に大名家や一族がどう動いたのかを考える手がかりになります。
豊臣期の因幡は長い時代ではありません。しかし、鳥取城攻めで始まり、豊臣政権の合戦や支配に組み込まれ、関ヶ原合戦後に再編されていく流れをたどると、山名氏と池田家の間にある時期が、因幡の歴史のなかで空白ではなかったことがよくわかります。
135点の図版と資料翻刻15点で史料を確認できる
因幡×豊臣~豊臣政権と因幡の大名~には、135点の図版が収録されています。本文は長い解説を続けて読む図録というより、図版を中心に見ていき、後半の資料解説で内容を確認する流れになっています。
そのため、最初にページをめくったときは、文章量が少なく感じるかもしれません。ただし、後半の資料解説はしっかり書かれており、布陣図、書状、日記、関係資料について、どのような資料で、どこを見ればよいのかを確認できます。図版を見たあとに資料解説へ戻る読み方が合う図録です。
巻末の資料翻刻も見逃せません。収録されている書状などの原文のうち15点が、私たちにも読める活字に起こされています。読み下し文ではないため、すぐに意味がすべてわかる形式ではありませんが、古文書の本文をできるだけ原文に近い形で確認したい人にはありがたい資料です。
鳥取城攻めや因幡衆を調べるとき、後世の説明だけではなく、書状そのものに近づける点は大きな魅力です。戦国時代の文書資料に関心がある人にとって、この資料解説と資料翻刻は、図録を手元に置く理由になります。
図録の詳細と読後の感想
図録情報
| 図録名 | 因幡×豊臣~豊臣政権と因幡の大名~ |
|---|---|
| 発行 | 鳥取市文化財団 鳥取市歴史博物館 |
| 発行日 | 2019年10月12日 |
| ページ数 | 96頁 |
| 価格 | 1,100円(税込) |
図録 目次
図録を読み終えて
因幡×豊臣~豊臣政権と因幡の大名~は、豊臣秀吉と戦国時代の因幡に関連する史料をまとめて確認できる図録です。特に書状資料が多く、鳥取城攻めや因幡衆の動きを、文書を通して追えるところに魅力があります。
本文は図版中心で、章ごとの長い解説を読み込むタイプではありません。その分、後半の資料解説が重要になります。図版を見ながら全体をつかみ、気になった資料を資料解説で確認し、さらに巻末の資料翻刻で原文に近い形を読む。そうした読み方が合う一冊です。
読み終えて感じたのは、鳥取城攻めだけで終わらない図録だということです。鳥取城の兵糧攻め、宮部継潤、亀井茲矩、因幡衆、九州攻め、関ヶ原合戦後の宮部家まで、豊臣政権期の因幡を短い時代としてではなく、豊臣政権の動きと結びついた時間として見ることができます。
会場で見た布陣図や書状を、後から確認するための図録として役立ちます。展示室では細かく読めなかった文書資料も、手元で図版と資料解説を行き来しながら見直せます。鳥取城攻めの流れや、宮部継潤・亀井茲矩を中心とした因幡衆の動きを復習したい人に向いています。
展示を観覧していなくても、豊臣政権期の因幡を知る入口として読めます。山名氏の時代と池田家の時代の間にある約二十年ほどの因幡を、鳥取城攻め、因幡衆、九州攻め、関ヶ原合戦後の流れから押さえられます。豊臣秀吉を京都や桃山文化とは別の角度から見たい人にも合う図録です。
おすすめしたいのは、次のような人です。
- 鳥取城の兵糧攻めを史料から確認したい人
- 宮部継潤や亀井茲矩に関心がある人
- 豊臣政権と因幡の大名の関係を知りたい人
- 戦国時代の書状や布陣図が掲載された図録を読みたい人
- 京都や桃山文化とは別の角度から豊臣秀吉の時代を見たい人

