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西郷頼母(さいごうたのも)一族 二十一名自刃

新政府軍が若松城下に侵攻した8月23日、会津藩家老西郷頼母邸において、西郷一族二十一名が集団自決をします。この日、西郷邸には頼母の家族の他に、支族や親戚の者が居合わせていました。


敵の侵入を知らせる半鐘が鳴り響く中、知人である高津家の人が一緒に入城することをすすめますが、頼母の妻、千重子(ちえこ)は「最後のときが来るも、入城しないことにしております。」と述べこれを断るのです。


西郷家の邸宅はお城のすぐ目の前にあり、入城しようと思えばすぐにできる状況でした。このことから、西郷家では敵が城下に侵入したときは全員で自刃することをあらかじめ決めていたと推測できます。


千重子は長男である吉十郎だけを入城させると、幼い娘三人を刺し殺し自らも喉を突いて自害します。頼母の祖母や母、妹、親戚たちも次々に自刃するに及び、西郷邸は血の海と化したのです。


幼子がいるので籠城戦の足手まといになると思ったのでしょうか?藩内で微妙な立場となっていた夫の名誉、西郷家の名誉を守るための自刃であったとも伝えられています。


城下に攻込んだ土佐藩士が西郷邸に入ると、死に切れず苦しんでいる女性がいました。土佐藩士が身体を起こすと、その女性は「あなたは敵ですか味方ですか」と尋ねたので、「味方だ」と答えると女性は懐剣を差しのべます。介錯を望んでいると判断した土佐藩士はすぐに介錯をしてその場を離れます。


後年、この話しを聞いた西郷頼母は自伝「栖雲記 せいうんき」の中で、この女性は長女の細布子(たえこ)ではないかと述べています。また、介錯をした土佐藩士は、これまで中島信行とされてきましたが、中島信行は戊辰戦争に参加していない可能性がでてきたため、現在のところ介錯した人物は判明していません。

西郷頼母(さいごうたのも)
*西郷頼母

■西郷邸で自刃した者の氏名
西郷頼母の妻、千重子(ちえこ)34歳
母、律子(りつこ)58歳
妹、眉寿子(みすこ)26歳
妹、由布子(ゆうこ)23歳
長女細布子(たえこ)16歳
次女瀑子(たきこ)13歳
三女田鶴子(たづこ)9歳
四女常磐子(とわこ)4歳
五女季子(すえこ)2歳 
頼母の家族9名。

支族
西郷鉄之助(てつのすけ)67歳
妻、きく子59歳
支族西郷家2名。

親戚
小森駿馬(こもりしゅんめ)の祖母ひで子77歳
妻、みわ子24歳
長男、千代吉5歳
長女、つち子10歳
次女、みつ子2歳
小森家5名。

町田伝八(まちだでんぱち)58歳
妻、ふさ子59歳
姉、浦路(うらじ)65歳
町田家3名。

町田家の親戚
浅井信次郎(あさいしんじろう)の妻、たつこ24歳
長男、彦(ひこ)2歳
浅井家2名。

■辞世の句
西郷頼母の妻、千重子(ちえこ)
なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそきけ

母、律子(りつこ)
秋霜飛んで兮金風冷なり 白雲去りて兮月輪高し

妹 眉寿子(みすこ)
死にかえり幾度世には生るとも ますら武雄となりなんものを

妹、由布子(ゆうこ)
もののふの道とききしをたよりにて 思ひ立ちぬる黄泉の旅かな

上の句は次女瀑子(たきこ)下の句は長女細布子(たえこ)
手をとりて共に行きなば迷はじよ いざたどらまし死出のやまみち

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