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石垣山一夜城(いしがきやまいちやじょう)

石垣山一夜城(いしがきやまいちやじょう)
*小田原征伐・石垣山一夜城


石垣山一夜城(いしがきやまいちやじょう)は、小田原征伐において豊臣秀吉が石垣山に築城した山城です。


20万を超える大軍で北条氏を攻めた秀吉は小田原城を包囲するとともに、小田原城の南西にある標高260メートルの石垣山に城を築き始めます。


巨大な石垣の上に天守が築かれ本丸、二の丸、曲輪、井戸の他に茶室も備えた本格的な城でした。石垣は本丸だけでなく二の丸にも使用されていたそうです。


このころの関東では石垣を使用した城は八王子城などごくわずかな例があるだけで、本格的な石垣をもつ城は石垣山城が初めてだったといわれています。


秀吉はわずか80日間で城を完成させると、夜中のうちに周囲を覆っていた樹木を伐採して、巨大な城が一日で完成したかのような演出をするのです。


小田原城を見下ろす石垣山に一夜にして現れた巨大な城!天守と石垣を持つ本格的な城の登場に北条方は仰天したとされています。


秀吉の一夜城といえば、墨俣一夜城も有名ですね。秀吉がまだ木下藤吉郎と名乗っていた時代、織田信長の美濃侵攻にあたり秀吉が築いた砦です。


美濃との国境付近に城を築き戦いを有利にしたい信長は柴田勝家や佐久間信盛に築城を命じますが、ことごとく失敗します。


「私にやらせてください」と名乗り出た秀吉は蜂須賀小六の協力を得て、材料である木材をいかだで運びます。川の上流で組んだいかだに木材をのせて運んだのです。


こうして短期間で砦を作った秀吉は信長に大いに褒められます。信長の家臣となって初めてたてた手柄だったとされています。墨俣一夜城については懐疑的な意見も多く、本当にあった話しかどうか確証がありません。


墨俣一夜城(1566年)から24年!信長の後継者として天下統一に王手をかけた秀吉の一大デモンストレーションとして行われたのが石垣山一夜城だったのです。