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黒田職隆(くろだもとたか)

黒田官兵衛の父黒田職隆(くろだもとたか)は、1524年備前国福岡で誕生しました。父重隆に従い姫路に移住したのち小寺氏の家臣となります。


重隆の跡を継ぎ小寺氏の家老となった重隆は姫路城の城代の任につきます。職隆は思慮深い性格で、人徳もあり小寺家の中でも一目おかれる存在になると、主君小寺政職(こでらまさもと)は「職」の字を職隆に与え、小寺姓を名乗ること許すのです。


さらに政職は、明石城主 明石正風(あかしまさかぜ)の娘を自分の養女にしたのち職隆に嫁がせます。この明石正風の娘との間にできた子が官兵衛です。家臣団の中で中心的な存在となった職隆は、小寺家の支配力を強めるために精力的に動きます。


備前国の豪族浦上政宗(うらがみまさむね)の子 浦上清宗(うらがみきよむね)に娘(養女という説もあり)を嫁がせますが、婚礼中に政宗と敵対していた赤松政秀が奇襲をしかけ浦上親子と職隆の娘が殺害される事件が起こります。


1567年になると嫡子官兵衛に家督を譲り国府山城で隠居生活を送りますが、秀吉の家臣となり奔走する息子を陰で支えます。1578年には官兵衛が有岡城に幽閉され生死不明になると、一時的に当主に復帰して動揺する黒田家中をまとめ官兵衛の行方を捜索させるのです。


幽閉の身を救出された官兵衛はその後、高松城攻め、山崎の戦、賤ヶ岳の戦い、小牧長久手の戦い、四国遠征で功績をあげます。


秀吉の軍師として天下統一に尽力する息子に黒田家の将来を託し、職隆は1585年8月22日62歳で帰らぬ人となります。