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黒田重隆(くろだしげたか)

黒田重隆(くろだしげたか)は、官兵衛の祖父にあたる人物です。「黒田家譜」によると重隆は1508年に伊香郡黒田村で誕生します。父 高政が軍令違反を犯し近江を出奔すると、重隆も父とともに備前国福岡に移住することになります。


高政が福岡で没すると重隆は姫路に移り、やがて赤松氏の重臣小寺氏に仕えることになったのです。どのようないきさつで小寺氏の家臣になったのか判明していませんが、相当な財力があったようです。


流浪の身でなぜ財力を蓄えることができたのか?「夢幻物語」という史料には重隆が目薬を販売して財を成したことが記されています。


「夢幻物語 むげんものがたり」によると、姫路に移住してみたものの生活に困窮していた重隆は、ある日夢の中で近江大明神を見ます。


何かのお告げだと感じた重隆は、広峰大明神に参拝し神主の井口太夫と出会うのですが、お告げについて井口と話しているうちに、黒田家には秘伝ともいえる目薬の調合法があることを思い出します。


その目薬を護符と一緒に販売してはどうかと助言を受けた重隆は、調合した目薬に「玲珠膏 れいしゅこう」と名をつけ販売を開始するのです。重隆の「玲珠膏」は瞬く間に評判となり飛ぶように売れ、多くの富を重隆にもたらします。


重隆は、目薬販売で得たお金を元手に金融業や田畑の開墾事業などを手がけさらに財を蓄えたとされています。


「夢幻物語」は江戸時代に創られた物語であり、目薬販売で富を成したという話しをそのまま信じるわけにはいきません。ただし、重隆は何らかの方法で蓄財をし、その豊富な資金力を背景に在地の土豪などを配下に従え力をつけていったことは十分考えられます。


小寺氏が重隆を家臣に迎えたことを考えれば、重隆という人物はそれなりの実力があったのではないでしょうか。「播磨古事」という史料には、重隆が1564年2月6日に没し、姫路にある心光寺に葬られたとの記述があります。

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