藤原家成
藤原家成は藤原家保の三男として1107年に誕生しました。家成の家系は「諸大夫の家」と呼ばれる中~下級貴族でしたが、祖父藤原顕季が白河上皇の側近となり正三位・修理大夫に昇進します。
父 家保も白河上皇の信頼を得て従三位参議にまで出世し、家成もまた主要な国の受領を歴任して豊富な資金力で鳥羽院政を支えました。
ちなみに「諸大夫の家」とは四位までしか昇進出来ない身分の低い貴族の家を指した言葉です。
鳥羽上皇の信任厚く第一の側近として重きをなし、摂関家からも一目置かれるほどの存在となった家成ですが、平清盛の継母である池禅尼とはいとこ(池禅尼の父藤原宗兼と家成の母藤原隆子は兄弟)であることから、池禅尼は清盛を出世させるために家成の邸宅に出入りさせます。
清盛は嫡男家重の正妻に家成の娘を迎え結びつきを強めます。清盛が異例の出世をとげた背景には家成の助力があったことが推測できます。
家成は1154年に病没しますが、平家滅亡後も家成の家系は四条家として存続します。