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豊臣秀頼・千姫の婚姻と家康の征夷大将軍就任

関ヶ原の戦いに勝った徳川家康ですが、戦い直後はまだ豊臣家の大老の身分であり豊臣秀頼に臣下の礼をとっていました。家康は豊臣家の大老として関ヶ原の論功行賞を行い、西軍の大名を改易、減封し東軍側の大名に大幅な加増を行います。


東軍諸大名には豊臣家のために戦った褒美として、改易、減封した大名の領地の他、豊臣家の直轄地も分け与えられます。そのため戦前は200万石以上あった豊臣家の直轄領が戦後は65万石にまで減らされました。


論功行賞の名を借りて豊臣家の領地を減らすことに成功した家康は、次に徳川家の家格を上げる手段にでます。それが、征夷大将軍就任です。


征夷大将軍は元々、東の蛮族を討伐するために朝廷から与えられた役職ですが、源頼朝が鎌倉に幕府を開くとしだいに武家社会の最高権威の位置づけとなります。


豊臣秀吉は関白となり豊臣家の格を上げ全国を統治しましたが、家康は関白ではなく征夷大将軍を選びました。


家康が征夷大将軍に就任したことで幕府を開き、豊臣家を滅ぼすのではないかと疑念を持つ淀の方や豊臣恩顧の大名を刺激しないように裏で工作をしていました。それが、秀忠と江の長女である千姫を豊臣秀頼に嫁がせることでした。


この縁談は秀吉存命中に秀吉と家康の間で決められていたのですが、約束を守ることで豊臣家の疑念を一時的にはらします。秀頼11歳、千姫7歳 当時としても早すぎる結婚ですが、この政略結婚により無事征夷大将軍に就任した家康はさらに天下取りの準備を進めていくのです。

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