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茶々、秀吉の側室になる

三姉妹の中で最初に嫁いだのは三女の江でした。


江の夫、佐治一成が秀吉の怒りをかい無理やり離別させられたため、江の最初の結婚は半年程度で終わります。


次女の初が京極高次に嫁いだのが1587年、初17歳のときです。


本来であれば初より1歳年上の茶々が先に嫁いでいても不思議はないのですが、秀吉は茶々ではなく初を選びました。


このことから初が高次と一緒になった1587年ごろには、茶々はすでに秀吉の側室になっていた可能性が高いと思われます。


茶々と秀吉の最初の子である鶴松が誕生したのが1589年5月ですから、1588年には懐妊していたことになります。


秀吉には正室のおねの他にも10人近い側室がいましたが、秀吉の子を身ごもったのは茶々のみです。


長浜城主時代に、側室との間に石松丸秀勝が生まれたという資料も存在するようですが確証はありません。


正室と多数の側室がいながら、生まれた子供は石松丸秀勝を入れても3人となり、秀吉は子供ができにくい体質であったと推察することができます。


子ができにくい体質の秀吉が茶々を側室にしてすぐに鶴松ができたとは考えにくいので、やはり初の嫁いだ1587年以前に茶々は秀吉の側室となり、2~3年で鶴松を懐妊したと考えるのが自然な流れだと思います。


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