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江の母 お市の方

お市の方

お市の方は1547年に織田信秀の娘として誕生しました。母は信秀の正室土田御前で母を同じくする兄に信長と信行がいます。戦国一の美貌といわれたように大変美しい女性であったようです。


戦国大名の家に生まれた当時の女性は政略の道具として他家へ嫁ぐことが一般的で、お市の方も北近江を治める浅井長政との同盟の証として嫁ぐことになります。


政略結婚とはいえ長政とお市の方は仲睦まじく三人の子に恵まれました。長女の茶々、次女の初、三女の江は浅井三姉妹と呼ばれ数奇な運命をたどることになります。


信長との同盟により南近江まで勢力を伸ばすことができた浅井氏でしたが、協力関係にあった越前の朝倉氏を信長が攻めたことから亀裂が入り信長と敵対するようになります。


浅井、朝倉連合軍は姉川で織田、徳川軍を迎え撃ちますが、激戦の末敗れ長政は居城小谷城に立てこもります。信長はまず、朝倉氏を攻めこれを滅ぼした後、小谷城を包囲して長政を追い込みます。


死を覚悟した長政は浅井の血を残すようお市の方に命じ、三人の娘とともに落城寸前の小谷城から脱出させ信長のもとに送り届け自刃して果てます。


信長の庇護を受け生活するお市の方と三人の娘たちは、伯父の織田信包のもとに引き取られ穏やかな生活を送りますがそれも長続きせず、1582年信長が家臣の明智光秀の謀反にあい本能寺で自刃する事件が起きます。


織田家にとって不運だったのは信長だけでなく、家督を相続する立場にあった嫡男信忠も一緒に死んでしまったことです。このことにより、天下は信長の弔い合戦で明智光秀を討った秀吉に傾くことになります。


信長の命令とは言え、浅井攻めを任されていた秀吉に嫌悪感を持つお市の方は、織田家の筆頭家老の立場にあった柴田勝家と再婚をして、勝家の居城北の庄城で三人の娘と暮らすことになります。


北の庄での暮らしは穏やかであったようですが、権力を掌中に収めていく秀吉に危機感を持った勝家は賤ヶ岳で秀吉軍に決戦を挑みます。しかし、秀吉の巧みな戦術に大敗を喫し北の庄城に引き返します。


秀吉軍に包囲された勝家はお市の方と三人の娘を城外に出そうとしますが、お市の方は勝家とともに自害することを選び三人の娘だけを秀吉のもとに送ります。


1583年落城する北の庄城の中で、三人の娘の将来を案じながらお市の方はその生涯を閉じるのです。

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