「護国寺五百羅漢図(ごこくじごひゃくらかんず)」という名前から、護国寺で生まれた仏画を想像するかもしれません。実際には、黄檗宗(おうばくしゅう)の画僧・兆溪元明(ちょうけいげんみょう)が1677年に完成させ、墨田区の弘福寺(こうふくじ)へ納めた五百羅漢図が出発点でした。現存する36幅は現在、護国寺に30幅、弘福寺に6幅が伝わり、2024年には東京都指定有形文化財となっています。すみだ郷土文化資料館の企画展「護国寺五百羅漢図展」は、そのうち護国寺所蔵の作品を紹介する展示です。作品の系譜は、中国・南宋から14世紀の京都を経て、江戸時代の黄檗宗へとつながっています。
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350年近く前の仏画を紹介する「護国寺五百羅漢図展」
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東京都指定文化財となった36幅
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実物10幅とほぼ実物大のタペストリーで紹介
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開催情報
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関連イベント
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羅漢とは誰なのか―五百羅漢図を生んだ歴史
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羅漢とは?なぜ「五百羅漢」と呼ばれるのか
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南宋から14世紀の京都、江戸へ受け継がれた五百羅漢図
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弘福寺と黄檗宗―五百羅漢図が描かれた時代
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五百羅漢図は護国寺より4年古かった

350年近く前の仏画を紹介する「護国寺五百羅漢図展」
東京都指定文化財となった36幅
すみだ郷土文化資料館の公式ページによると、企画展「護国寺五百羅漢図展」は、弘福寺の五百羅漢図と護国寺の五百羅漢図が東京都の文化財に指定されたことを記念して開催されます。
兆溪元明が1677年に完成させた五百羅漢図は、もともと50幅からなる作品でした。このうち現存する36幅が2024年に東京都指定有形文化財となり、護国寺が30幅、弘福寺が6幅を所蔵しています。
作品は絹に色をつけて描く「絹本着色(けんぽんちゃくしょく)」で、1幅はおよそ縦2.1m、横1.3mです。東京都は、36幅というまとまった数で残ったことに加え、当時としては珍しい大きな一枚の絹に、濃い色彩で細かく描かれた点などを評価しました。現存する江戸時代の五百羅漢図の中でも、早い時期に制作された作品の一つです。
実物10幅とほぼ実物大のタペストリーで紹介
今回の展示では、護国寺が所蔵する30幅のうち10幅を前期と後期に分けて公開する予定です。残る20幅は、デジタル画像から制作したほぼ実物大のタペストリーで紹介されます。
前期と後期では展示品がすべて入れ替わる予定です。
開催情報
| 展示名 | 企画展「護国寺五百羅漢図展」 |
|---|---|
| 会期 | 2026年10月3日(土)~11月29日(日) 前期:10月3日(土)~10月25日(日) 後期:10月28日(水)~11月29日(日) |
| 会場 | すみだ郷土文化資料館3階展示室 |
| 開館時間 | 9:00~17:00(入館は16:30まで) |
| 入館料 | 個人100円、団体20人以上は1人80円。中学生以下、身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳をお持ちの方と介助の方は無料 |
| 休館日 | 毎週月曜日、毎月第4火曜日。それぞれ祝日の場合は翌平日 |
関連イベント
| イベント名 | 講演会「東京都指定文化財 絹本着色五百羅漢図 兆溪元明筆 護国寺本公開に至るまで」 |
|---|---|
| 日時 | 2026年10月18日(日)14:00~15:30 |
| 講師 | 川本恭子氏(墨田区文化財保護指導員) |
| 場所 | すみだ郷土文化資料館5階研修室 |
| 備考 | 先着順。10月1日から電話で申し込み |
| イベント名 | 講演会「五百羅漢図の受容と展開」 |
|---|---|
| 日時 | 2026年10月25日(日)10:30~12:00 |
| 講師 | 高橋真作氏(東京国立博物館) |
| 場所 | すみだ郷土文化資料館5階研修室 |
| 備考 | 先着順。10月1日から電話で申し込み |
羅漢とは誰なのか―五百羅漢図を生んだ歴史
五百羅漢図を楽しむために、まず知っておきたいのが「羅漢」と呼ばれる人々と、この絵が生まれるまでの歴史です。兆溪元明の五百羅漢図は、14世紀に明兆が描いた五百羅漢図を手本としており、さらにその源流は中国・南宋の作品へとさかのぼります。また、兆溪元明は黄檗宗の画僧で、作品が完成した1677年は黄檗宗が江戸へ広がり始めた時期でした。
羅漢とは?なぜ「五百羅漢」と呼ばれるのか
「羅漢」は「阿羅漢」の略称です。古代インドの言葉を漢字の音で表したもので、仏教では修行を成就した聖者を指します。
仏画では「十六羅漢」と「五百羅漢」という名称を目にします。十六羅漢は、釈迦の死後もこの世にとどまり、仏法を守り伝える役割を託されたとされる16人の羅漢です。中国・唐代に玄奘が漢訳した『法住記(ほうじゅうき)』に16人の名前や住む場所が記され、日本でも古くから絵画の題材となりました。
一方の五百羅漢は、釈迦の入滅後、経典をまとめるために集まったとされる500人の仏弟子を指します。今回の東京都指定有形文化財「絹本着色五百羅漢図 兆溪元明筆」には、羅漢が不思議な力を示す場面のほか、仏教史上の出来事や説話、僧院での生活など、さまざまな情景が描かれています。
「五百羅漢」という題名は500人を一つの画面に詰め込んだ絵という意味ではありません。兆溪元明の作品は50幅からなる連作として制作され、複数の場面に分けて羅漢たちが表されました。
南宋から14世紀の京都、江戸へ受け継がれた五百羅漢図
兆溪元明の五百羅漢図には、さらに古い手本がありました。もとになったのは、京都・東福寺の画僧、吉山明兆(きちざんみんちょう)が14世紀に描いた50幅の五百羅漢図です。
明兆は1383年から3年をかけて制作し、1386年に完成させました。この明兆本も、さらにさかのぼると中国・南宋時代の林庭珪(りんていけい)と周季常(しゅうきじょう)が描いた五百羅漢図につながります。根津美術館に伝わる吉山明兆筆「五百羅漢図」も、南宋の100幅本を原本として制作された作品です。
兆溪元明は、明兆本を同じ大きさでそのまま写したのではなく、より大きな画面に描き直しました。東京都の調査では、兆溪本は明兆本より縦がおよそ1.2倍、横がおよそ1.4倍になっています。羅漢の頭の形や姿勢、手の動きなどを細かく写す一方、人物の配置を変え、背景に樹木や岩を加えました。
髪や肌、衣の色や文様にも変更があり、雲や建物などには鮮やかな色彩が用いられました。古い作品を手本としながら、17世紀の画家が大きな画面に合わせて再構成していたことが、両作品の比較から確認されています。
弘福寺と黄檗宗―五百羅漢図が描かれた時代
兆溪元明は黄檗宗の画僧でした。黄檗宗は日本の禅宗の一つで、中国・明代の臨済宗の禅風を受け継ぎ、中国的な儀礼や文化を色濃く残す宗派です。日本へ広がるきっかけとなったのが、江戸時代前期に来日した中国の僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)でした。1654年に来日し、1661年には京都・宇治に黄檗山萬福寺を開きました。
五百羅漢図が納められた弘福寺も黄檗宗の寺院です。弘福寺の公式サイトでは、鐵牛道機(てつぎゅうどうき)が延宝元年(1673)に香積山弘福寺の堂宇を移し、黄檗宗の寺として牛頭山弘福寺と改称したと説明しています。一方、同寺の文化財ページと墨田区は延宝2年(1674)を開創年としています。
兆溪元明が50幅の五百羅漢図を完成させたのは、隠元の来日から数えて23年、萬福寺の開創から16年後にあたります。
東京都は、黄檗宗が江戸に根付き始めた17世紀後半に生まれた作例として、絵画史と文化史の両面から評価しています。
五百羅漢図は護国寺より4年古かった
作品名にある護国寺の創建は1681年です。護国寺の略縁起では、5代将軍徳川綱吉が生母・桂昌院の発願を受けて亮賢僧正(りょうけんそうじょう)を招き、幕府の高田薬園の地に寺を建立したことが始まりとされています。
兆溪元明の五百羅漢図が完成した1677年と比べると、作品のほうが護国寺の創建より4年早く生まれていました。制作された時点で護国寺はまだ創建されておらず、50幅は弘福寺へ納められました。
その後、現在伝わる36幅のうち30幅が護国寺の所蔵品となりました。東京都の文化財指定資料には、護国寺所蔵となった具体的な時期や経緯は記されていません。

