城というと、天守や石垣を思い浮かべる人も多いでしょう。中世城館には、堀・土塁・曲輪など、地形に手を加えて築いた跡が残されています。栃木県埋蔵文化財センターの秋の企画展「堀・土塁・曲輪-とちぎの中世城館-」では、飛山城跡や唐沢山城跡など県内6城の出土遺物とCS立体図が取り上げられる予定です。発掘された遺物や地面の高低差から、中世城館の姿に迫る企画です。
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6城の発掘成果と地形からたどる中世城館
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栃木県内6城の出土遺物
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15城をCS立体図で捉える
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開催情報
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関連イベント
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堀・土塁・曲輪から中世の城を知る
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土塁は城を守る土の壁
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曲輪は城の中に整えられた平らな場所
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縄張りとは?

6城の発掘成果と地形からたどる中世城館
栃木県内6城の出土遺物
栃木県埋蔵文化財センターの公式案内では、県内で発掘調査が行われた中世城館6城の出土遺物を展示する予定です。対象は、飛山城跡(宇都宮市)、祇園城跡(小山市)、西方城跡(栃木市)、唐沢山城跡(佐野市)、烏山城跡(那須烏山市)、鹿沼城跡(鹿沼市)です。
掲載されている資料例には、鹿沼城跡の漆器椀出土状況、祇園城跡出土の香炉、飛山城跡出土の獅子紐、西方城跡出土の土馬があります。
15城をCS立体図で捉える
6城については、出土遺物とあわせてCS立体図の映像が上映される予定です。さらに、8城を含む15城について、CS立体図パネルが展示されます。
CS立体図は、長野県林業総合センターが考案した地形表現図です。谷地形を青、尾根地形を赤で表し、傾斜が緩い場所は淡く、急な場所は濃くなるよう色分けします。地形の細かな起伏を視覚的に捉えやすくする方法です。
チラシには名称を伏せた8城のCS立体図も、栃木県の地図上に配置されています。どの城なのかを考え、正解は展示会場で確認できる内容になっています。
開催情報
| 展示名 | 秋の企画展「堀・土塁・曲輪-とちぎの中世城館-」 |
|---|---|
| 会場 | 栃木県埋蔵文化財センター企画展示室 |
| 会期 | 2026年9月13日(日)~12月13日(日) |
| 開館時間 | 9:30~16:30(最終入館16:00) |
| 入館料 | 無料 |
| 休館日 | 土曜日、9月20日(日)、9月21日(月・敬老の日)、9月22日(火・国民の休日)、10月11日(日)、11月3日(火・文化の日)、11月22日(日)、12月6日(日) |
関連イベント
| イベント名 | 記念講演会「戦国末期の下野の国衆と城郭」 |
|---|---|
| 日時 | 2026年11月8日(日)13:30~15:30 |
| 講師 | 荒川善夫氏(栃木県歴史文化研究会顧問) |
| 場所 | 栃木県埋蔵文化財センター研修室 |
| 定員 | 60名(要予約) |
| 備考 | 申込受付期間は9月28日(月)~10月23日(金)。お問い合わせフォーム、はがき、FAXで申し込み。1申込みにつき2名まで。申込者多数の場合は抽選。 |
堀・土塁・曲輪から中世の城を知る
展示名に使われている堀・土塁・曲輪は、中世城館のつくりを知るための言葉です。それぞれの役割を知っておくと、城跡に残る高低差や形の意味もつかみやすくなります。
土塁は城を守る土の壁
土塁とは、曲輪や堀の縁などに設けられた土手状の高まりです。中世城館の防御施設として敵の侵入を妨げ、土を盛って築くのが一般的ですが、地面を削り残して形づくる例もあります。
堀を掘った際に出た土砂を城内側へ積み上げ、土塁の材料にすることもありました。地面を掘り下げた堀と、その横に盛った土塁を組み合わせることで、堀底と城内側との高低差を大きくできます。
山城の堀には水が入っているとは限りません。尾根を横切るように掘って敵の進行を妨げる堀切、斜面を上下方向に掘って横移動を難しくする竪堀、曲輪の周囲を取り巻く横堀などがあります。土塁が土手状の高まりなのに対し、堀は地面を掘り下げて敵の動きを妨げる施設です。
今回の展示対象の一つである国史跡「唐沢山城跡」では、山腹に中世山城として機能していた時期の曲輪や堀切が残り、山麓には大規模な堀と土塁を伴う屋敷跡があります。山頂部には織豊期に整備された高石垣も残され、中世山城から織豊系城郭へ改変されていく過程を伝えています。
曲輪は城の中に整えられた平らな場所
曲輪とは、山の斜面や尾根を削ったり盛ったりして、地面を平らに整えた場所です。周囲には、斜面を急に削って敵が登りにくくした切岸や、堀、土塁などを設けて防御を固めました。「曲輪」は当時の文献でも使われた表記で、江戸時代には「郭」という字も用いられています。
曲輪の種類には、城の中心となる本曲輪または主郭があります。主郭の周囲を細長く囲むものが帯曲輪、主郭から下った場所に設けられたものが腰曲輪です。本曲輪から離れた場所に置かれ、見張りや本曲輪を守る砦として使われたと考えられている出曲輪もあります。
曲輪の数や並び方は城によって異なります。山頂に一つだけ設けた城もあれば、尾根に沿って複数を並べた城もありました。初期の山城には自然の地形を生かしたものがあり、どこまで人の手が加えられたのか見分けにくい例もあります。時代が進むにつれて、山に大きく手を加えて曲輪を整えるようになりました。
縄張りとは?
城郭でいう縄張りとは、曲輪をどこに置き、その周囲に堀や土塁、石垣、出入口などをどう配置するかという城の基本的な構成です。姫路市立城郭研究室では、曲輪を中心とした堀や石垣などの平面配置に加え、敵の侵入を防ぐための出入口の工夫なども縄張りに含めています。
山城では、もともとの山の形も城づくりに利用されました。尾根や斜面に曲輪を設け、堀などの防御施設を組み合わせて城を形づくります。同じような山に築かれた城でも、曲輪や堀の並び方によって城のつくりは異なります。
縄張りという考え方は、近世初頭の築城でも確認できます。弘前藩が17世紀前半に築城へ着手した亀ヶ岡城については、津軽信枚が縄張りを行い、それにもとづいて建物や構造物の配置を決めたとする記録が残っています。
ここで縄張りと区別したいのが縄張図です。現在の城跡調査で使われる縄張図は、現地に残る曲輪・堀・土塁などを調べ、その位置や形を図に表したものです。こうした縄張図を使った城郭研究は1960年代後半から見られ、1970年代以降に各地へ広がりました。現在では地形図や測量データなども利用しながら、城の構造を記録する方法として使われています。
江戸時代には、城を描いた城絵図も数多く作成されました。正保元年(1644)には幕府が諸藩に城絵図の作成を命じ、城内の建物だけでなく、石垣の高さ、堀の幅や水深、城下町なども記録させています。こうした歴史資料として残る城絵図と、現在の調査で作成する縄張図は、同じ城を描いていても目的や作られた時代が異なります。

