サムライと聞くと、真っ先に刀を思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、武士が身につけた武芸は、弓術、馬術、鎗術、剣術、砲術など多岐にわたるものでした。徳川美術館の夏季特別展「武芸 サムライ・アスリート」は、尾張徳川家に伝わった武具や武芸の伝書などを通して、武士が磨いたさまざまな技を紹介する展覧会です。合戦が少なくなった江戸時代にも、なぜ武士は武芸を続けたのでしょうか。
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尾張徳川家の資料からたどる武士の武芸
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弓・馬・鎗・剣・鉄砲まで広がる武芸
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近代以降も受け継がれた武芸
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開催情報
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開催イベント
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武芸からみる江戸時代の武士の世界
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江戸時代の武士は何を仕事にしていたのか
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武士の武器は刀だけではない
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甲冑はどうやって作られたのか

尾張徳川家の資料からたどる武士の武芸
弓・馬・鎗・剣・鉄砲まで広がる武芸
徳川美術館の公式ページでは、夏季特別展「武芸 サムライ・アスリート」について、大名家・尾張徳川家で実際に用いられた武具類や、武芸各種の伝書などを中心に、さまざまな武芸を紹介するとしています。
武芸の対象は刀剣だけではありません。弓矢を操る弓術、馬を乗りこなす馬術、鎗や長刀、刀剣を扱う技、鉄砲を用いる砲術まで、その範囲は広く及びます。現在の後期展示では、17世紀の「調馬図屏風 六曲一双のうち左隻」が主な展示作品として挙げられています。
ほかにも、徳川家康所用の「黒塗桐紋鞍・鐙」、尾張柳生家初代の柳生利厳が所持した「大太刀 銘永則」とその拵などが主な展示作品に含まれています。武具に加えて、武芸各種の伝書も紹介されています。
近代以降も受け継がれた武芸
武士は合戦に参加するため、日頃から武芸の修練に励んでいました。武士階級がなくなった近代以降、武芸は軍隊や教育機関における心身の鍛練を目的とするスポーツとして定着していきます。
弓矢や馬術、刀剣、鎗など、武士が身につけた武芸から近代以降まで、その歩みをたどる展覧会となっています。
開催情報
| 展示名 | 夏季特別展「武芸 サムライ・アスリート」 |
|---|---|
| 主催 | 徳川美術館・名古屋市蓬左文庫・中日新聞社・日本経済新聞社・NHK名古屋放送局 |
| 会期 | 2026年7月25日~9月27日 |
| 開館時間 | 10:00~17:00(入館は16:30まで) |
| 観覧料 | 一般2,000円、高・大生1,200円、小・中生無料 |
| 休館日 | 月曜日(9月21日は開館)、9月24日 |
関連イベント
| イベント名 | 土曜講座「江戸時代の武芸者たち」 |
|---|---|
| 日時 | 2026年8月8日13:30~15:00 |
| 講師 | 並木昌史氏(徳川美術館主任学芸員) |
| 場所 | 徳川美術館講堂 |
| 定員 | 100名 |
| 備考 | 終了しました。 |
武芸からみる江戸時代の武士の世界
江戸時代の武士は、どのような仕事をし、どのような武器を扱っていたのでしょうか。ここでは武士の仕事や武器、甲冑の作り方を紹介します。
江戸時代の武士は何を仕事にしていたのか
戦国時代の武士には合戦のイメージが強くありますが、江戸時代になると武士の仕事は大きく変化します。多くの武士は幕府や大名家の組織に組み込まれ、城下町に集住し、主君から知行や米などの給付を受けながら、政治や行政を担う役人としての性格を強めていくことになります。
当サイトでは、江戸東京博物館で2019年に開催された特別展「士 サムライ―天下太平を支えた人びと―」の展示図録を読み、戦国から江戸へ移るなかで変化したサムライの仕事と暮らしを紹介しました。図録で取り上げられているのは、戦乱が終息した後の武士が「武人から役人へ」と職能を変えていく過程と、当時の職制や公務に関する資料です。
幕府や大名家には、主君の警備などを担う「番方」と、民政や財政などの行政実務を担う「役方」がありました。太平の世が続くにつれて重要性を増したのが役方の仕事です。読み書きや算術、法令など、行政を動かすための能力も武士に求められるようになったのです。
武士の仕事には災害への対応もありました。江戸では大名火消や定火消などの武家火消が火災に対応し、河川の氾濫や浸水の際にも武士が出動する体制でした。合戦が日常から遠ざかった時代にも残された、人員を率いて非常事態に対応する役割です。
一方、剣術や砲術をはじめとする武芸の修練も継続していました。行政を担う実務能力が求められる時代になっても、武芸は武士という身分に結びついた技能として受け継がれていきます。
武士の武器は刀だけではない
日本刀は武士を象徴する存在ですが、武士が使った武器は弓矢、刀剣、薙刀、鑓、鉄砲など多岐にわたります。さらに馬上で戦うために欠かせなかった馬術。武器によって求められる技術が異なり、それぞれの扱い方が武芸として磨かれていきました。
平安時代中期に登場した初期の武士にとって、馬上から弓を射る弓馬の技術は戦いの基本でした。武士を「弓取り」と呼ぶ表現も使われるほど、弓と武士は強く結びついていたのです。
長い柄の先に刃を付けた鑓は、13世紀後半ごろから日本の合戦で使われるようになり、その後も江戸時代まで使用されました。柄の長さによって長柄や間中柄などの区別があり、戦い方に応じた異なる形の鑓が存在します。
16世紀に鉄砲が日本へ伝わると、戦い方にも新しい武器が加わります。江戸時代に入ってからも砲術は失われず、鉄砲を扱うための流派や伝書が残されました。18~19世紀の田付流、大島流、荻野流などの砲術書も現存しており、流派ごとに技術が文書として伝えられていたことが確認できます。
甲冑はどうやって作られたのか
甲冑は鉄だけで作られた防具ではありません。鉄や革、漆、染織、組紐など、複数の材料と技術を組み合わせたものです。防具としての機能に加え、金工、漆工、染織などの工芸技術も一つの甲冑に集約されています。
構造を知る手がかりになるのが「小札(こざね)」です。小札とは、甲冑を構成する小さな板状の部品。小札を連ねて札板を作り、漆を塗って補強し、さらに札板同士を紐でつなぐ「威し」という工程を重ねていきます。
甲冑製作見本には、腰回りを守る「草摺(くさずり)」が形になっていく工程が残されています。革製の小札を連ねて札板を作り、黒漆を塗って補強した後、札板同士を紐で威してつなげる工程です。完成した甲冑の内部にあるのは、こうした細かな部品を積み重ねる作業でした。
すべての甲冑が同じ構造で作られたわけではありません。戦国時代末から安土桃山時代以降には、鉄板を組み合わせた胴なども用いられるようになり、時代や形式によって材料や組み立て方は変化します。小札を用いる方法は、日本甲冑に使われた代表的な製作技法の一つです。
江戸時代には、中世の甲冑を意識した古式の鎧も新たに作られるようになります。18世紀の「段威鎧」はその一例で、中世の大鎧の形式を踏襲したものです。太平の世の大名たちの間では古式の鎧を作ることが流行し、過去の武家文化を伝える甲冑も制作されていました。

