室町時代に足利義満によって創建された京都の相国寺は幾多の戦乱を経て伽藍の多くを焼失する歴史を歩みました。その復興に大きな役割を果たしたのが江戸時代初期の天皇である後水尾院です。現在相国寺承天閣美術館にて開催されている企画展「後水尾院の京」は復興の歩みとともに育まれた十七世紀の文化を紐解く内容となっています。寺宝を通して公家社会と禅僧たちの交流の跡を辿り当時の京都を彩った芸術の数々に触れることができる構成です。
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後水尾院と相国寺が紡いだ寛永の美
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復興を支えた天皇と禅僧の絆
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十七世紀の華やかな芸術作品
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開催情報
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関連イベント
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展覧会の背景を彩る江戸時代の歴史模様
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幕府との緊張関係と後水尾天皇の院政
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朝廷の権威を揺るがした紫衣事件
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貴族と町衆が交差する寛永文化

後水尾院と相国寺が紡いだ寛永の美
復興を支えた天皇と禅僧の絆
中世の動乱で打撃を受け多くの建物を焼失した相国寺ですが近世に入ると後水尾院という有力な支援者を得ます。後水尾院は相国寺僧の昕叔顕晫(きんしゅくけんたく)を師として落飾し複数の伽藍再興に尽力しました。御所と地理的に近かったことに加え貴族の子弟が寺に入ったこともあり当時の公家社会と相国寺は密接な関係を築き上げます。
展示の第一章および第二章では初公開となる「後水尾天皇像」や宮家ゆかりの品々が数多く並びます。天皇と禅宗の結びつきを軸に相国寺が宮家の菩提寺として果たした役割を寺宝や関係資料から追う構成です。失われた風景を取り戻そうとした当時の人々の足跡が伝わってきます。
十七世紀の華やかな芸術作品
天皇を中心とした公家や禅僧の交流は信仰の枠を超えて豊かな文化を育む土壌となりました。第三章と第四章では十七世紀の京都で花開いた芸術作品が紹介されます。俵屋宗達の筆による重要文化財「蔦の細道図屏風」(第一期展示)や本阿弥光悦の重要文化財「赤楽茶碗加賀」など優れた美の結晶が展示室を彩ります。
また2026年8月29日には名古屋大学准教授の佐藤一希氏を講師に迎え江戸時代の宮中法会と相国寺の関わりをテーマにした記念講演が予定されています。実際の展示作品の鑑賞とともに当時の宮中文化の奥深さをより立体的に理解する絶好の機会となりそうです。
開催情報
| 展示名 | 後水尾院の京 |
|---|---|
| 主催 | 相国寺承天閣美術館 |
| 会期 | Ⅰ期:2026年5月31日(日)~7月26日(日) Ⅱ期:2026年8月2日(日)~9月27日(日) |
| 開館時間 | 10:00~17:00(入館は16:30まで) |
| 観覧料 | 大人1,000円、大学生・高校生800円、中学生500円、小学生無料(要保護者同伴) |
| 休館日 | 2026年7月27日(月)~8月1日(土) |
関連イベント
| イベント名 | 記念講演「江戸時代の宮中法会と相国寺」 |
|---|---|
| 日時 | 2026年8月29日(土)14:00~15:30 |
| 講師 | 佐藤一希氏(名古屋大学准教授) |
| 場所 | 相国寺承天閣美術館二階講堂(13:30開場) |
| 定員 | 先着80名 |
| 備考 | ※各イベントには当日の拝観券が必要です |
展覧会の背景を彩る江戸時代の歴史模様
展覧会へ足を運ぶ前に知っておきたい当時の歴史的な背景をいくつか紹介します。この時代の政治や社会の動きを把握しておくことは展示品がどのような空気の中で生み出されたのかを深く味わうための前提知識となります。
幕府との緊張関係と後水尾天皇の院政
後水尾天皇が在位していたのは江戸幕府が成立して間もない時期に当たります。徳川家康や秀忠そして家光と続く幕府が日本全国への支配力を増すなか朝廷の伝統や権威を守ろうとした天皇との間には度重なる摩擦が生じました。
天皇は若くして幕府への抗議の意味も込めて譲位を選択しその後は上皇として長期間にわたり院政を敷くことになります。政治的な実権が制限される一方で文化や芸術の庇護者としての存在感を高めていきました。この長きにわたる院政期は相国寺をはじめとする京都の寺社復興や新たな芸術活動を考えるうえで重要な背景です。
朝廷の権威を揺るがした紫衣事件
後水尾天皇と幕府の対立の要因となったとされるのが江戸時代初期に起こった紫衣事件(しえじけん)です。
紫衣とは高位の僧侶にのみ着用が許される格式ある法衣を指し古くから天皇の許可によって授与されるものでした。しかし幕府は新たに定めた法令を盾に天皇が与えた紫衣の着用を無効と判断します。
朝廷の伝統的な権限に武家政権が直接介入したこの事件は天皇に衝撃を与えました。これに抗議する形で後水尾天皇は譲位に踏み切ります。展覧会で紹介される後水尾院の禅への関心は朝廷と寺院の関係を考えるうえでも重要な視点になります。
貴族と町衆が交差する寛永文化
後水尾院を中心とする宮廷文化と京都の上層町衆の活動が重なり合うなかで形成されたのが寛永文化です。長きにわたった戦国時代の気風が薄れ世の中が平和に向かうなかで生まれました。
公家が代々受け継いできた古典的な教養と経済力をつけた京都の町衆や文化人たちの自由な発想が融合した点が特徴です。
本阿弥光悦や俵屋宗達といった芸術家たちもこの時期に活躍し茶の湯や絵画そして陶芸など多岐にわたる分野で洗練された美意識が形作られました。相国寺に残る数々の寺宝からもこうした多様な身分の人々が交流した時代の文化的な広がりを感じ取ることができます。

