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2026.04.21

没後五〇〇年 戦国大名 今川氏親 静岡市歴史博物館の企画展で知る戦国今川氏の出発点

戦国大名と聞いて誰を思い浮かべますか。織田信長や武田信玄、あるいは今川義元を想像する方が多いかもしれません。しかし駿府の地で戦国大名としての今川氏の基礎を築いたのは、義元の父である今川氏親です。令和8(2026)年は氏親の没後500年にあたります。これを記念して静岡市歴史博物館では、氏親の実像と功績に光を当てる本格的な企画展が開催される予定です。幼少期の家督争いから領国拡大、そして独自の法律制定まで、波乱に満ちた氏親の生涯をたどる展示内容の魅力をご紹介します。

目次
  • 戦国大名のさきがけ・今川氏親の生涯と功績
  • 家督を巡る争いと領国拡大
  • 今川仮名目録の制定と今川文化
  • 開催情報
  • 名将を支えた重要人物・伊勢宗瑞(北条早雲)
  • 氏親の窮地を救った最大の庇護者

没後五〇〇年 戦国大名 今川氏親 静岡市歴史博物館の企画展で知る戦国今川氏の出発点のイメージ画像 作成:junk-word.com (爆点日本史編集部)
没後五〇〇年 戦国大名 今川氏親 静岡市歴史博物館の企画展で知る戦国今川氏の出発点 イメージ画像(生成AI)作成:junk-word.com (爆点日本史編集部)

戦国大名のさきがけ・今川氏親の生涯と功績

家督を巡る争いと領国拡大

今川氏親は文明5(1473)年に駿河守護である今川義忠の子として生まれました。しかし幼少期に父・義忠が遠江で戦死したため、今川(小鹿)範満との間で深刻な家督争いに巻き込まれることに。命の危険にさらされた氏親は、一時的に小川城(焼津市)や丸子(静岡市駿河区)へと身を寄せて難を逃れたとされています。

苦難の時代を経て、長享元(1487)年に叔父である伊勢宗瑞(北条早雲)の強力な支援を受け、ようやく今川氏当主の座を奪還しました。静岡市歴史博物館の展示では、幼少期を過ごした小川城跡から発見された漆椀や箸などの出土品が紹介される予定であり、若き日の氏親を取り巻く当時の生活の一端をうかがう手がかりとなります。

無事に家督を継承した氏親は、父親の代からの宿敵であった遠江守護の斯波氏勢力との対決姿勢を明確にします。駿河の武士たちを従えて隣国の遠江へと幾度も出兵し、長年の激しい戦いの末に遠江を領国化しました。その勢いは留まることを知らず、さらにその先の三河国(愛知県東部)へと進出し、勢力を着実に拡大していきます。

駿河・遠江・三河東部の三カ国を支配する勢力を築き上げ、東海地方における戦国大名・今川氏の基盤を固めていきます。ここまで、氏親がどのような経緯で家督を継ぎ、そして周囲の国々へと勢力を広げていったか、イメージできたでしょうか。

今川仮名目録の制定と今川文化

武力による勢力の拡大だけでなく、氏親は領国内の安定した統治にも力を注ぎました。晩年にあたる大永6(1526)年の4月には、全33箇条からなる独自の分国法『今川仮名目録』を制定します。

この法律は喧嘩両成敗などを明確に定めており、当事者同士の私闘を禁じることで領国内の無用な争いを防ぐことを目的としていました。

戦国大名が定めた分国法としては極めて早期に作られたものとされており、隣国の武田信玄をはじめとする他の戦国大名たちにも多大な影響を与えたとされています。今回の展示会場では、藤枝市郷土博物館・文学館所蔵の『今川記』に記された今川仮名目録などの貴重な資料を通じて、氏親の優れた統治手腕が詳しく解説される予定です。

また氏親が治めた時代には、本拠地である駿府に華やかな今川文化が花開きました。駿府の今川館があったと推定される一帯の発掘調査では、香炉や水注、白磁器といった中国から伝来した高級陶磁器が多数出土しています。

これらは当時の上流階級の人々だけが使用できた贅沢な品々であり、今川氏が豊かな経済力を背景に、京都や大陸との幅広い文化的交流を持っていたことの証拠でもあります。

さらに大永6(1526)年6月に死去した氏親が葬られた菩提寺の増善寺(静岡市葵区)は、その後の今川氏当主や家臣からも厚い崇敬を受けました。武力だけでなく、法律の整備や文化の保護にも目を向けた氏親の姿がうかがえます。

開催情報

展示名 企画展「没後五〇〇年戦国大名今川氏親
主催 静岡市歴史博物館
会期 2026年4月25日(土)~6月7日(日)
開館時間 9:00~18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)
観覧料 一般400円、高校生・大学生・静岡市内70歳以上280円、小中学生100円(※企画展のみの料金。未就学児や静岡市内在住・通学の小中学生は無料等あり。基本展示は別途料金設定あり)
休館日 月曜日(国民の祝日・休日の場合は開館、翌平日休館)※4月27日(月)は臨時開館

名将を支えた重要人物・伊勢宗瑞(北条早雲)

展示をより深く楽しんでいただくための前提知識として、氏親の若き日を支えた叔父について少し解説します。

氏親の窮地を救った最大の庇護者

今川氏親の生涯を深く語る上で欠かすことのできない重要人物が、伊勢宗瑞です。後世には北条早雲の名でも広く知られ、のちに関東の後北条氏の基礎を築いた有名な武将です。

宗瑞の姉(または妹)にあたる北川殿が駿河守護の今川義忠に正室として嫁ぎ、嫡男である氏親を産みました。つまり宗瑞から見て氏親は甥にあたり、両者は極めて近い血縁関係で結ばれていたのです。

氏親が父の死後に発生した家督争いで命の危険にさらされ、駿府の館から逃れざるを得なかった苦難の時期、宗瑞は甥である氏親を手厚く保護しました。そして氏親の当主復帰に向けて自ら駿河へ下向し、軍事的かつ政治的な交渉において決定的な役割を果たしました。

宗瑞という後ろ盾と卓越した知略があったからこそ、氏親は無事に今川氏の正当な家督を継ぐことができたと言えます。

若き日の氏親にとって宗瑞は、親族という枠組みを超えた最大の庇護者であり、同時に乱世を生き抜くための戦国武将としての理想的な手本でもありました。

二人の関係性を知ることで、若き日の氏親がどのような環境で育ち、どのような支えを受けていたのか、思い描きやすくなるはずです。

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