江戸幕府初代将軍・徳川家康の埋葬地として知られる久能山東照宮(静岡市)の名宝約100点を紹介する特別展が、仙台市博物館で開催されます。2代から15代将軍の甲冑は通期展示でそろい、家康の甲冑は前期・後期で入れ替えて公開されます。家康愛用の刀剣や身の回りの品々、国宝・重要文化財を含む貴重な文化財を通じて、江戸時代の武家文化の精髄を間近で体感できる貴重な機会です。
- 家康の遺言が生んだ2つの聖地
- 全国東照宮の原型となった久能山
- 政治的背景と急速な拡大
- 現代に受け継がれる信仰と文化
- 今回展示される甲冑一覧
- 甲冑と鎧の違い
- 有名な戦国武将の甲冑
- 開催情報
- 2025年度開催中の徳川家や武家文化に関連する展示
久能山東照宮と日光東照宮の違い
家康の遺言が生んだ2つの聖地
徳川家康は元和2年(1616年)4月17日に駿府城で薨去する際、「御大漸の後は久能山に納め奉り、御法会は江戸増上寺にて行はれ、霊牌は三州大樹寺に置れ、御周忌終て下野の国日光山へ小堂を営造して祭奠すべし」という遺言を残しました。
この遺言に従い、家康の遺骸は遺命によって久能山に葬られ、元和3年(1617年)12月には江戸幕府第2代将軍徳川秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営されたのです。
久能山東照宮は息子である秀忠による父親への慰霊の場という性格が強い一方で、日光東照宮は崇拝する祖父家康のために、孫の家光が幕府の全面バックアップのもとで大改装しました。
「久能山東照宮」と「日光東照宮」を比較される理由の一つが、徳川家康のお墓。両方にお墓があるため、どちらが本当?と戸惑う方が多いのですが、遺言通りでいくと、ご遺骸は久能山東照宮に、そして御霊を日光東照宮に移したと考えられています。
全国東照宮の原型となった久能山
権現造の様式で建てられた久能山東照宮は、日光東照宮をはじめ全国に多数造営された東照宮の原型とされました。
また、棟梁を担当した中井正清(なかいまさきよ)はその生涯で名古屋城・仁和寺・二条城など現在にも残る重要な建造物を手がけましたが、久能山東照宮は中井正清の晩年の傑作であり、平成22年に国宝に指定されています。
久能山は戦国時代には武田信玄が築いた久能城があった場所でもあります。家康自身も久能山の重要性を説いていたと伝えられており、敵に攻め込まれないよう急な角度で石段が作られているなど、城の遺構が見られるのも他の神社と大きく違う特徴といえるでしょう。
全国に広がった東照宮の歴史
政治的背景と急速な拡大
家康の死後、東照社(のちの東照宮)は各地の幕府領に建てられただけでなく、家康の子孫である御三家など親藩も独自に勧請し、さらに3代将軍の徳川家光が諸大名に造営を勧めたこともあって、譜代大名および将軍家と縁戚関係がある外様大名も競って東照大権現を祀るようになりました。その結果、全国には一時期500社を超える東照宮が建てられたといわれ、廃絶されたものを含めると約700社にのぼるとも伝わります。
1645年(正保2年)に宮号を授けられた東照大権現は東照宮と号することになり、全国の東照社も東照宮に改称しました。徳川政権下では、幕府への忠誠を示すために、諸大名がこぞって東照大権現を勧請し、徳川家康への敬慕と幕府への忠義を表現する手段として機能していたのです。
しかし、明治維新による江戸幕府の崩壊とそれに続く神仏分離、廃仏毀釈と相まって廃社や合祀が相次ぎ、現存するのは約130社とされています。1965年の「東照宮350年式年大祭」を機に全国東照宮連合会が結成され、現在も多くの東照宮が参加しています。
現代に受け継がれる信仰と文化
東照宮は、「東照大権現」として神格化された徳川家康を祀る神社です。家康は亡くなった後、神格化され、各地に「東照社」のちに「東照宮」が作られました。東照宮は天台宗の影響を受けた権現信仰に基づく神社として発展し、日本各地に独特の宗教文化を根づかせました。
現在も全国各地に残る東照宮は、それぞれが地域の歴史と密接に結びついています。北海道から九州まで、各地の東照宮には地域ならではの特色があり、江戸時代から続く文化の継承者として重要な役割を果たしています。
今回の展示を通じて、東照宮の創祀の地として知られる久能山東照宮の貴重な文化財を間近で見ることで、江戸時代の武家文化と信仰の世界を体感できるはずです。
戦国武将と甲冑
今回展示される甲冑一覧
本展では、徳川家康から15代慶喜まで歴代将軍の甲冑が展示されます。家康の甲冑は前期・後期で展示替えがあり、2代から15代将軍の甲冑は通期展示で鑑賞することができます。
初代 徳川家康 | 【前期展示】金陀美具足(重要文化財)、【後期展示】歯朶具足(重要文化財) |
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2代 徳川秀忠 | 茶糸威具足 |
3代 徳川家光 | 紺糸素懸威具足 |
4代 徳川家綱 | 貫衆具足 |
5代 徳川綱吉 | 縹糸威具足 |
6代 徳川家宣 | 白糸威具足 |
7代 徳川家継 | 写形歯朶具足 |
8代 徳川吉宗 | 紺糸威鎧 |
9代 徳川家重 | 黒糸威鎧 |
10代 徳川家治 | 写形歯朶具足 |
11代 徳川家斉 | 紅糸威具足 |
12代 徳川家慶 | 縹糸素懸威具足 |
13代 徳川家定 | 青糸威具足 |
14代 徳川家茂 | 萌葱糸素懸威具足 |
15代 徳川慶喜 | 卯花威胴丸 |
甲冑と鎧の違い
「甲冑(かっちゅう)」と「鎧(よろい)」は、どちらも日本の武具を指す言葉ですが、その意味には明確な違いがあり、簡単に言えば、甲冑は兜と鎧を合わせた総称で、鎧は主に胴体を守る防具を指します。
2つの言葉の最も大きな違いは、指し示す範囲の広さです。
甲冑の「甲」は鎧(よろい)、つまり胴体を守る防具を意味します。「冑」は兜(かぶと)、つまり頭部を守る防具で、この二つの漢字が合わさった「甲冑」は、兜と鎧を含む武具一式を指す言葉です。西洋の "Suit of Armor" に最も近い概念と言えます。
鎧は、胴体を守る防具そのものを指す言葉です。時代や形式によって「大鎧(おおよろい)」「胴丸(どうまる)」「腹巻(はらまき)」など様々な種類に分類されます。つまり、甲冑という大きなカテゴリの中に、鎧と兜が含まれているという関係性になります。
時代が進むにつれて、防具の形式が変化し、新しい言葉も生まれました。
平安~鎌倉時代:主に馬上で弓を射る戦いが中心だったため、騎射戦に特化した「大鎧」が上級武士の主流でした。この時代は、鎧といえば大鎧を指すことが多かったです。
室町~戦国時代::徒歩での集団戦が主流になると、より動きやすく実用的な「当世具足(とうせいぐそく)」が登場します。具足という言葉は元々「十分に備わっている」という意味です。
戦国時代には、兜、胴、袖(そで)、籠手(こて)、佩楯(はいだて)、臑当(すねあて)など、全身の防具が揃っている状態を指すようになり、特に当世具足を指す言葉として定着しました。
有名な戦国武将の甲冑
戦国武将の甲冑は、防具としてだけでなく、武将の個性や信念を象徴する美術品としても高い価値を持っています。それぞれの甲冑には、その所有者である武将にちなんだ名称や、特徴的なデザインが見られます。
特に有名な戦国武将の甲冑には、それぞれ固有名詞や通称がありますので、一部ご紹介します。
- 徳川家康
- 金陀美具足(きんだみぐそく)。若き日の家康が桶狭間の戦いの前哨戦で着用したとされる金色の甲冑。
伊予札黒糸威胴丸具足(いよざねくろいとおどしどうまるぐそく)。関ヶ原の戦いで着用したとされ、兜のシダの葉の前立てから歯朶具足(しだぐそく)とも呼ばれる。
- 伊達政宗
- 黒漆五枚胴具足(くろうるしごまいどうぐそく)。兜の大きな三日月形の前立てが非常に有名。「仙台胴」とも呼ばれる頑丈な作りが特徴。
- 本多忠勝
- 黒糸威胴丸具足(くろいとおどしどうまるぐそく)。兜の脇にそびえ立つ大きな鹿の角の脇立(わきだて)と、獅噛(しかみ)の前立てが印象的。
- 直江兼続
- 金小札浅葱糸威二枚胴具足(きんこざねあさぎいとおどしにまいどうぐそく)。兜に大きく「愛」の文字をあしらった前立てが最大の特徴。この「愛」は、愛宕権現や愛染明王への信仰を示すものなど、諸説ある。
- 真田信繁
- 赤備え(あかぞなえ)。武田軍の精鋭部隊に由来する、朱色で統一された甲冑。兜は六文銭の前立てで知られ、鹿角の脇立は図像や近代の甲冑飾りで描かれることもある。
- 上杉謙信
- 色々威腹巻(いろいろおどしはらまき)。兜の前立ては飯綱権現像とされる作例が知られ、信仰との結びつきが語られている。
- 武田信玄
- 諏訪法性兜(すわほっしょうのかぶと)。白い毛で覆われた特徴的な兜で、信玄所用と伝わる作例が知られる。武田家が軍神として崇拝した諏訪明神への信仰を示す。
開催情報
展示名 | 特別展「徳川十五代将軍展~国宝・久能山東照宮の名宝~」 |
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主催 | 「徳川十五代将軍展」仙台展実行委員会(仙台市博物館、tbc東北放送、河北新報社) |
会期 | 令和7年9月12日(金曜日)~11月9日(日曜日) 前期:9月12日(金曜日)~10月5日(日曜日) 後期:10月7日(火曜日)~11月9日(日曜日) |
開館時間 | 9時00分~16時45分(入館は16時15分まで) |
観覧料 | 一般1,600円(前売1,400円)、高校・大学生1,300円、小・中学生900円 |
休館日 | 毎週月曜日(9月15日、9月22日、10月13日、11月3日は開館)、9月16日(火曜日)、9月24日(水曜日)、11月4日(火曜日) |
関連展示
全国各地で開催されている、徳川家や甲冑に関連する展示をご紹介します。徳川美術館では開館90周年を記念した大規模な特別展が続き、国宝や重要文化財を含む名品の数々を鑑賞する機会が提供されています。今回の仙台での展示と合わせて巡ることで、江戸時代の武家文化や甲冑の美をより深く理解することができるでしょう。
2025年度開催中の徳川家や武家文化に関連する展示
施設名 | 展示名 | 会期 | 概要 |
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徳川美術館 | 秋季特別展「尾張徳川家 名品のすべて」 | 2025年9月13日~11月9日 | 開館90周年記念。重要文化財を含む名品と、昭和から令和に至る90年の歩みを物語る関連資料を通して、徳川美術館と蓬左文庫の全貌を紹介 |
徳川美術館 | 企画展示「尾張家臣団」 | 2025年11月15日~12月14日 | 約2万5,000人におよぶ尾張徳川家の家臣にスポットを当て、重臣から中・下級家臣まで、その実像に迫る展示 |
信玄公宝物館 | 常設展示「六十二間筋兜、伝信玄所用軍配団扇 他」 | 通期開催 | 武田信玄所用と伝えられている当世具足の兜鉢や、武田信玄が愛用したとされる軍配などを展示 |
角館歴史村 青柳家 | 武器蔵 | 通期開催 | 青柳家のルーツを伝える貴重な鎧・兜等の武具や、江戸時代からの文献を収蔵 |
徳川十五代将軍展と久能山東照宮の歴史・まとめ
- 家康の遺言により久能山と日光に東照宮が創建
- 久能山は息子秀忠による私的な慰霊の場
- 日光は孫家光による公的な霊廟として整備
- 久能山東照宮は全国東照宮の原型となった
- 中井正清が棟梁を担当、平成22年(2010年)に国宝に指定
- 家光が諸大名に東照宮造営を推奨
- 全国に約700社の東照宮が建立された
- 明治維新後に現存約130社まで減少
- 甲冑は兜と鎧を合わせた武具の総称
- 鎧は胴体を守る防具のみを指す
- 家康の甲冑は前期・後期で展示替え
- 2代から15代将軍の甲冑は通期展示