教科書で一度は目にしたことがある「銅鐸(どうたく)」。名前は知っていても、実際にどのようなものかよくわからない方が多いのではないでしょうか。銅鐸は弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器で、農耕祭祀に使われた祭器です。徳島県立埋蔵文化財総合センター「レキシルとくしま」では、開館30周年を記念して重要文化財の矢野銅鐸(やのどうたく)が特別公開されます。この機会に、銅鐸とはどのようなものか、そして矢野銅鐸の特別な価値について探ってみましょう。
- 青銅で作られた釣り鐘型の祭器
- 音を鳴らす楽器から見せる祭器へ
- 発掘調査で明らかになった貴重な発見
- 突線袈裟襷文の美しい装飾
- 徳島県最大級の弥生集落との関係
- 開催情報
- 2025年度開催中・開催予定の古代文化関連展示
銅鐸とは何か
青銅で作られた釣り鐘型の祭器
銅鐸は、弥生時代(紀元前2世紀ごろから紀元3世紀ごろ)に製造された釣鐘型の青銅器です。青銅器とは、銅に錫(すず)や鉛(なまり)を加えた合金で作られた器物のことです。現在私たちが目にする銅鐸は青緑色をしていますが、これは長い年月の間に酸化して錆びたためで、作られた当時は金属光沢があったと考えられています。
大きさは高さ20センチメートル程度の小型のものから、1メートルを超える大型のものまでさまざまです。これまで全国で約500(出土不明も含めると約600)個の銅鐸が発見されており、そのほとんどが近畿地方から東海地方にかけての地域で出土しています。銅鐸は弥生時代にのみ存在した特殊な祭器で、古墳時代に入ると製作されなくなりました。
音を鳴らす楽器から見せる祭器へ
銅鐸の用途は時代とともに変化しました。弥生時代前期から中期にかけて作られた初期の銅鐸は内部に「舌(ぜつ)」と呼ばれる細長い棒を吊るし、神社の鈴のように音を鳴らして使用されていたと考えられています。これらの銅鐸は農耕祭祀で音響楽器として用いられ、五穀豊穣を願う祭りで使用されていた可能性があります。
しかし弥生時代後期になると、銅鐸は大型化し装飾も華麗になり、もはや音を鳴らすものではなくなりました。この段階の銅鐸は「見る銅鐸」と呼ばれ、地面や祭殿の床に据え置いて視覚的効果を重視するようになりました。この変化は、小規模な集落での祭祀から、より大きな共同体での祭祀へと発展したことを示しており、銅鐸が地域権力のシンボルとしての性格を強めていったことがわかります。
銅鐸の名前の由来は古代中国の「鐸」という楽器とされています。中国の鐸は柄を持って打ち鳴らすものでしたが、日本の銅鐸は吊るして使用するため、実際には「鐘」に近い楽器でした。「銅鐸」という名称が文献に登場するのは、8世紀の『続日本紀』です。
矢野銅鐸の特別な価値
発掘調査で明らかになった貴重な発見
矢野銅鐸は、1992年12月18日に徳島市国府町(こくふちょう)の矢野遺跡で発見されました。この銅鐸の発見は、発掘調査中に出土し埋納状況を詳細に記録できた点で、学術的に重要な事例となりました。
矢野銅鐸は木箱に納められた状態で埋納坑から出土しました。このような発見状況は全国的にも類例が少なく、当時の人々が銅鐸をどのように扱っていたかを知る重要な手がかりとなっています。埋納坑には柱穴や建物跡も伴っており、銅鐸の埋納が慎重に計画された儀式的行為であった可能性が指摘されています。1995年6月15日に国の重要文化財に指定されました。
突線袈裟襷文の美しい装飾
矢野銅鐸は突線袈裟襷文銅鐸(とっせんけさだすきもんどうたく)と呼ばれ、その表面には特徴的な装飾が施されています。袈裟襷文とは、僧侶の着る袈裟の襷(たすき)のような斜格子の文様のことで、縦の文様帯と横の文様帯を交差させたデザインです。この文様は近畿地方で製作された銅鐸に最も多く見られる装飾で、弥生時代の人々の美的感覚を示しています。
「突線」とは浮き上がった線のことで、鋳造時に文様を立体的に表現する技法です。銅鐸では鋸歯文(きょしもん)、連続渦文(れんぞくかもん)、綾杉文(あやすぎもん)といった多様な文様が表現されており、当時の青銅器製作技術の高さを示しています。これらの装飾は、祭祀における銅鐸の神聖性を高める役割を果たしていたと考えられています。
徳島県最大級の弥生集落との関係
矢野銅鐸が出土した矢野遺跡は、徳島県内でも有数の大規模な弥生時代の集落跡です。1992年に徳島南環状道路の建設にともなって発掘調査が行われ、銅鐸が発見されました。その後、1994年から1998年にかけての調査で、弥生時代中期から後期の竪穴建物跡が多数確認されました。
こうした大規模集落で銅鐸が使われていたことは、当時の社会が複雑化していたことや、銅鐸が祭祀などにおいて重要な役割を果たしていたことを示す、貴重な証拠といえるでしょう。
矢野銅鐸は弥生時代後期に属し、「見る銅鐸」の段階にあたります。この時期の銅鐸は音を出すことよりも視覚的な効果を重視していたとされ、大規模集落での祭祀において地域権力の象徴としての性格を強めていたと考えられています。矢野遺跡のような大集落での銅鐸使用は、弥生時代後期における政治的統合の進展を示す重要な事例とされています。
銅鐸の出土数は兵庫県(67点)、島根県(54点)に次いで、徳島県(42点)が全国で3番目に多い地域とされています(兵庫県立考古博物館 春季特別展「弥生の至宝 銅鐸」、徳島県チャンネル「弥生の精華 矢野銅鐸」等による)。矢野銅鐸をはじめ、名東銅鐸なども発掘調査中に発見されており、当時の銅鐸埋納状況を知る上で全国的にも重要な地域となっています。これらの発見により、弥生時代の祭祀や社会構造の解明が進展しました。
開催情報
展示名 | レキシルとくしま(徳島県立埋蔵文化財総合センター)開館30周年特別公開 矢野銅鐸 |
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主催 | 徳島県立埋蔵文化財総合センター |
会期 | 令和7年7月25日(金)から8月31日(日)まで |
開館時間 | 9時30分から17時まで |
観覧料 | 無料 |
休館日 | 毎週月曜日 |
関連展示情報
2025年は全国の博物館で古代文化に関する魅力的な展示が開催されています。古代日本への理解を深める絶好の機会となっています。矢野銅鐸の特別公開と合わせて、これらの関連展示も巡ることで、弥生時代から古墳時代にかけての日本古代文化をより深く体感することができるでしょう。
2025年度開催中・開催予定の古代文化関連展示
施設名 | 展示名 | 会期 | 概要 |
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シルクロードミュージアム | 土器にドキドキ! | 2025年5月17日~9月28日 | 古代の人々の信仰や日常生活を物語る土器や土偶。土器とともにシルクロードの歴史に触れる展示。 |
兵庫県立考古博物館 | 夏季企画展「ひょうご発掘調査速報2025」 | 2025年7月12日~8月14日 | 兵庫県教育委員会が令和6年度に実施した発掘調査の成果、出土資料を中心に、丹波の弥生時代に関する展示。 |
名古屋市科学館 | 特別展「古代DNA―日本人のきた道―」 | 2025年7月19日~9月23日 | 最新のゲノム解析技術で縄文人から古墳人まで、古代日本人の実像と移住の歴史に迫る画期的な展示。 |
島根県立古代出雲歴史博物館 | 常設展示 | 通期 | テーマ別展示ー青銅器と金色の大刀ー弥生時代の青銅器や古墳時代の豪族を飾った金銀の大刀を展示。 |
矢野銅鐸と弥生時代のまとめ
- 銅鐸は弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器
- 全国で約600個発見、近畿~東海地方に集中
- 当時は金色に輝く美しい金属製品だった
- 初期は音を鳴らす「聞く銅鐸」として使用
- 後期は装飾重視の「見る銅鐸」に変化
- 農耕祭祀から地域権力の象徴へと発展
- 矢野銅鐸は1992年に発掘調査で発見
- 木箱に納められた状態で出土した珍しい事例
- 1995年に国の重要文化財に指定
- 突線袈裟襷文の美しい装飾が特徴
- 徳島県最大級の弥生集落・矢野遺跡で出土
- 徳島県は銅鐸出土数が全国第3位