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2025.07.04

戸定邸で育まれた徳川家の新時代「まつど×とくがわ」展の魅力を解説【戸定歴史館・松戸市立博物館のコラボ企画】

徳川最後の将軍慶喜の弟・昭武が松戸に築いた戸定邸(とじょうてい)では、明治から昭和にかけて父子二代にわたる新時代の暮らしが営まれていました。令和7年7月12日から開催予定の「まつど×とくがわー昭武・武定の生きた明治・大正・昭和ー」では、戸定歴史館と松戸市立博物館のコラボレーションにより、松戸の地で花開いた徳川家の近代的な日々に迫ります。国際派として生きた昭武、造船技術者として活躍した武定、それぞれが松戸とどのような絆を育んでいったのでしょうか。

目次
  • 宿場町として栄えた松戸の歴史
  • 戸定邸の立地に込められた意味
  • 海軍技術者としての活躍
  • 学者としての二つの顔
  • 開催情報
  • 2025年~2026年関連展示

戸定邸で育まれた徳川家の新時代「まつど×とくがわ」展の魅力を解説 【歴史ニュース】イメージ画像作成:junk-word.com
江戸から明治、大正、昭和~徳川家の新時代 AIによるイメージ画像 作成:junk-word.com

水戸街道が結んだ松戸と徳川家の縁

宿場町として栄えた松戸の歴史

昭武が明治17年に戸定邸(とじょうてい)を建設した松戸は、徳川家と深い歴史的つながりを持つ土地でした。江戸時代の松戸は水戸街道の宿場町「松戸宿」として知られ、江戸と水戸徳川家の居城を結ぶ重要な中継地点でした。

水戸街道は千住宿から松戸宿、小金宿を経て水戸城下へと続く幹線道路で、水戸徳川家は参勤交代を行わない定府大名であったため、江戸と水戸の間で頻繁に人や情報の往来があったと考えられています。

松戸宿は江戸川の渡船場を擁する交通の要衝として栄え、対岸の金町には関所(金町松戸関所)が設けられていました。江戸時代には江戸川に橋は架けられておらず、すべて渡船に頼っていたため、松戸宿は陸運と水運が交わる物流の拠点でもありました。

戸定邸の立地に込められた意味

昭武が松戸の戸定ヶ丘の突端に別邸を構えた背景には、複合的な理由があったと考えられています。

まず、戸定邸の「戸定」という名前が「外城」に由来するとされるように、この高台はかつて松戸城の外郭に位置した歴史的な土地でした。また、眼下には旧領・水戸と江戸を結んだ水戸街道が通り、すぐに東京に出られる利便性を持ちながらも、都心の喧騒からは離れた静かな環境で、隠居に理想的でした。

そして、下総台地の最西端から望む、江戸川とその遥か彼方の富士山という雄大な眺望は、昭武の敬愛する兄、徳川慶喜への深い想いが重ねられていたとも言われています。

パリ万博への派遣を命じられるなど慶喜から厚く信頼され、また晩年には共通の趣味である写真や狩猟を通じて親密な交流を続けた兄弟である昭武にとって、同じく富士を望む静岡で暮らしていた兄の存在は、この地を選ぶ上で大きな意味を持っていたと考えられます。

昭武は水戸家の家督を甥の篤敬(あつよし)に譲って隠居した後、この地に新たな居を構えました。戸定邸からの眺望は、江戸川の川面を近景とし、富士山を借景とする壮大なパノラマでした。

この庭園は、昭武がヨーロッパで目にした芝生の庭園様式を取り入れた先進的なもので、日本初期の洋風庭園として注目されています。昭武が撮影した写真を基に、2018年には往時の姿に復原する工事も完了しています。

ここがポイント!

戸定邸は別邸としてだけでなく、水戸徳川家と松戸の深い結びつきを示す場所です。水戸街道で結ばれた縁が、明治の新時代において新たな形で花開いたのが戸定邸だったのです。

技術者として生きた武定の軌跡

海軍技術者としての活躍

昭武の次男・武定(たけさだ)は、明治21年に戸定邸で生まれ、昭和32年までの69年間を松戸の地で過ごしました。明治25年には子爵に叙され、松戸徳川家が創設されました。その後、東京帝国大学工科大学造船学科を大正5年に卒業し、海軍に入って造船技術者としての道を歩みました。

大正13年から昭和19年にかけては、海軍技術研究所に勤務し、主に潜水艦の設計に関する研究に従事しました。

学者としての二つの顔

武定は海軍技術中将としての職務に加え、昭和13年から東京帝国大学工学部の教授も兼任し、次世代の造船技術者の育成に尽力しました。

戦後の昭和26年、武定は戸定邸を松戸市に物納し、自身は邸内の離れに移り住みます。妻・繡子(ぬいこ)は田安徳川家の徳川達孝(さとたか)の四女で、母・鏡子(きょうこ)は徳川慶喜の長女です。

武定の死後は、昭武の同母兄・土屋挙直(つちやしげなお)の外孫にあたる博武が婿養子として松戸徳川家を継承しました。

ここがポイント!

武定は技術者としてだけでなく、自然観察から技術のヒントを得る創造的な研究者でした。明治以降の近代化を支えた技術者でありながら、同時に松戸の地に根ざした生活を営み続けたのです。

開催情報

展示名 まつど×とくがわー昭武・武定の生きた明治・大正・昭和ー
主催 戸定歴史館松戸市立博物館
会期 令和7年7月12日(土曜)から同年8月31日(日曜)まで
開館時間 午前9時30分から午後5時(入館は閉館の30分前まで)
会場 博物館企画展示室
入館料(観覧料) 松戸市立博物館:一般150円、高校生・大学生100円、中学生以下無料

博物館まるごとチケット:一般370円、高校生・大学生180円

戸定まるごとチケット(戸定邸・戸定歴史館共通入館券):一般320円、高校生・大学生160円

戸・博まるごとチケット:一般620円、高校生・大学生300円
休館日 毎週月曜日(祝休日の場合は開館し、翌日休館)

関連イベント情報

令和7年は徳川美術館開館90周年という記念の年にあたります。徳川美術館で開催される展示を中心に、松戸の展示と合わせて巡ることで、江戸時代から明治にかけての激動の時代をより深く理解することができるでしょう。

2025年~2026年関連展示

施設名 展示名 会期 概要
徳川美術館 徳川美術館・蓬左文庫開館90周年記念 夏季特別展「時をかける名刀 2025年6月14日~9月7日 開館90周年記念特別展。尾張徳川家伝来の名刀と足利市の山姥切国広を同時公開。日本刀の歴史を辿る。
新潟県立近代美術館 徳川十五代将軍展 ~国宝・久能山東照宮の名宝~ 2025年6月27日~8月24日 久能山東照宮の貴重な宝物から国宝2点・重要文化財31点を含む約100点を展示。十五代将軍全ての甲冑を公開。
徳川美術館 企画展「尾張家臣団 2025年11月15日~12月14日 約2万5000人にのぼる尾張徳川家の家臣たちにスポット。重臣から中・下級家臣まで、その実像に迫る。
徳川美術館 企画展「日本の神々降臨 2026年1月4日~2月1日 神の鎮座地や祀る人々、さまざまな祭りに注目し、日本人と神との関係をひもとく。江戸時代の信仰文化を紹介。

松戸と徳川家の縁まとめ

  • 松戸は水戸街道の宿場町として徳川家と深い縁
  • 昭武が明治17年に戸定邸を松戸に建設
  • 戸定邸の名前は「外城」に由来する歴史的土地
  • 日本初期の洋風庭園を2018年に往時の姿に復原
  • 武定は明治21年に戸定邸で生まれ松戸で暮らす
  • 明治25年に子爵に叙され松戸徳川家が創設
  • 大正5年に東京帝国大学工科大学造船学科を卒業
  • 昭和13年から東京帝国大学工学部教授も兼任
  • 大正13年から昭和19年まで海軍技術研究所に勤務
  • 潜水艦設計研究で帝国海軍の技術発展に大きく貢献
  • 昭和17年11月に海軍技術中将・研究所長に就任