アフリカのタンガニイカ湖に住む鱗食魚(りんしょくぎょ)に、視覚情報に敏感に反応する「利き眼」があることが北海道大学などの研究で明らかになりました。この利き眼は魚の狩りの成功率を大きく左右する重要な能力で、利き眼を失うと本来とは逆側から獲物を襲うようになるという結果も得られています。
- 魚の鱗を食べる特殊な生き物たち
- シクリッド科の魚たちが暮らすタンガニイカ湖
- 動物の「利き」という不思議な能力
- 鱗食魚の「利き眼」の発見
- 利き眼の重要性を証明する実験
- この発見が持つ意義と今後への期待
- よくある質問
魚の鱗を食べる特殊な生き物たち
まず、今回の主役である「鱗食魚」について理解しましょう。鱗食魚とは、他の魚の鱗(うろこ)をはぎ取って食べる特殊な食性を持つ魚のことです。
鱗食魚は、淡水・海水を問わず世界中に分布しています。とくに南米やアフリカに多く見られるシクリッドの一部や、海にすむギンポの仲間などがその代表です。 こうした魚たちは、まわりにエサが少ない環境でも生き抜くため、ほかの魚の鱗という変わった資源を活用する道を選んだと考えられています。
鱗は骨やケラチンでできていて、普通の魚にとっては硬くて消化しづらいため、ふつうは餌にされにくい存在です。 しかし鱗食魚は、鱗をはぎ取るのに適した口の形や、瞬発的に相手に飛びかかる運動能力、さらには鱗を消化できる消化器官を進化させています。
魚の掃除屋さんとして知られるホンソメワケベラにそっくりな姿で魚に近づき、油断させたすきに鱗をかじってしまう「ニセクロスジギンポ」という魚もいます。 まさにだます力まで使って鱗を食べるという、驚くべき戦略をとっているのです。
魚の鱗にはカルシウムやコラーゲンといった成分を含んでおり、鱗食魚はそれらを栄養源として利用しています。
シクリッド科の魚たちが暮らすタンガニイカ湖
今回研究された鱗食魚(Perissodus microlepis)は、アフリカ東部のタンガニイカ湖に生息しています。タンガニイカ湖は約南北670km、東西約50kmと細長い形状で、最大水深約1470mと非常に深い湖です。
タンガニイカ湖は地球上でも固有種の多い湖として有名で、ここに生息する魚類の多くが固有種とされています。この湖で長い年月をかけて独自の進化を遂げた生物たちが数多く存在します。
タンガニイカ湖に生息するシクリッド科(カワスズメ科)の魚は、アフリカを中心に世界各地に分布する魚の総称で、多数の種が確認されています。シクリッド科の魚たちは色彩豊かで、繁殖形態が特徴的な行動様式を持つことで知られています。特にタンガニイカ湖に生息する種に見られるのは口内保育(マウスブルーディング)と呼ばれる繁殖形態です。
口内保育とは、メス(またはオス、種類によっては両親)が受精卵を口の中に入れて保護し、卵が孵化して稚魚がある程度の大きさに育つまで、口の中で育てる行動です。これにより、卵や稚魚が捕食者から襲われるリスクを大幅に減らすことができます。
動物の「利き」という不思議な能力
人間には利き手がありますが、実は動物にも「利き」が存在します。人間や動物の利きとは、手や足、目など、左右どちらかの特定の部位をより器用に使ったり、よく使ったりする状態のことです。
利き手がどのように脳に影響を与えるかについて、左右の脳の分業が関係していると考えられています。話すことや手作業は精巧な運動技能を必要とするため、左右の脳で分割して処理するのではなく、片方の脳半球で処理をする方が効率的だと推測されています。
動物の研究では、猫の場合、オスは左手を、メスは右手を使う傾向があることが報告されています。この違いは性ホルモンに関連するものだと考えられています。
アフリカのタンガニイカ湖に生息する鱗食魚にも利き手に相当するものがありますが、人間や猫の場合とは少し違います。鱗食魚の場合、左顎または右顎のどちらかが大きく発達しており、この顎の大きさの違いによって口の開く方向が決まります。
左顎が大きく発達した個体は口が右側に傾いて開き、右顎が大きく発達した個体は口が左側に傾いて開くようになります。この口の形状は遺伝によって決まることが既に知られていました。
そして鱗食魚の「利き」は、獲物の魚を襲撃する方向に現れます。獲物の魚の後方から近寄り、「左利き」の場合は獲物の左側から、「右利き」の場合は獲物の右側から狙うという行動パターンを持っています。これは、それぞれの口の形状が特定の方向からの襲撃に最も適しているためです。
鱗食魚の「利き眼」の発見
今回の研究では、口の形状の左右差だけでなく、視覚系にも同様の左右差、すなわち「利き眼」が存在するのではないかという仮説が立てられ、実験が行われました。
研究者たちは、物体が近づいてくる視覚刺激を左右の眼に与え、魚の反応性を調べました。すると、開口側の眼(口が開く側の眼)に刺激を与えた時は、もう一方の眼の時よりも高い割合で反応し、刺激から遠ざかることが分かりました。
つまり、右利きの鱗食魚は左眼、左利きの鱗食魚は右眼への刺激によく回避反応を示すのです。これは、鱗食魚には敏感に反応する片眼(利き眼)があり、それが口部形態の左右差及び襲撃の方向と明確に対応することを意味します。
利き眼の重要性を証明する実験
利き眼がどれほど重要なのかを調べるため、研究者たちは人工的に白内障にして視覚を阻害する実験を行いました。
利き眼を白内障にすると、非利き眼側からの襲撃数が多くなり、もともとあった襲撃方向の偏りが失われました。さらに、襲撃時の胴の屈曲角度と最大角速度が半減し、襲撃成功率が低下しました。
一方で、非利き眼を白内障にしても、襲撃方向の選択性や運動能力、襲撃成功率に変化はみられませんでした。この結果から、利き眼が鱗食魚の狩りに非常に重要であることが示されました。
利き眼への白内障処理により、鱗食魚が本来の利きとは逆側から獲物を襲撃するようになったことは注目すべき発見です。これは「経験による利きの強化」や「利きの矯正」を研究する実験系への応用が期待される現象です。
この発見が持つ意義と今後への期待
今回の研究は、動物の「利き」のメカニズム解明において重要な成果です。鱗食魚の視覚系が側方化しており、捕食や潜在的な脅威から逃れる能力を効率的に高めて、生存に大きな利点をもたらすことが示されました。
この発見は、利き手や利き眼など異なる次元の利きが脳によってどのように統御されているのか、「利きの脳内制御機構」の全容解明につながる可能性があります。
また、実用的な応用も期待されています。利き眼の機能を人工的に変化させることで、利きが生後環境でどのように変化しうるか、「経験による利きの強化」や「利きの矯正」を研究する実験系として活用できる可能性があります。
私たち人間にとっても、脳の機能や利きの仕組みをより深く理解することで、教育や医療分野での応用が期待できるかもしれません。小さな魚の研究が、生物全体の謎解きにつながる可能性を秘めているのです。
よくある質問
鱗食魚は他の魚にケガをさせて鱗を奪うのですか?痛そうで心配です。
鱗食魚は魚を殺すわけではなく、鱗だけを上手にはぎ取ります。一般的に魚の鱗は再生する能力があるとされているため、奪われてもまた生えてくると考えられています。ただし、鱗は魚にとって保護や体温調節に重要な役割を持つため、鱗を失った魚は一時的に弱くなる可能性があります。自然界では、こうした関係も生態系のバランスの一部として成り立っています。
利き眼と利き手は必ず同じ側になるのですか?人間の場合はどうでしょうか?
必ずしも一致しません。人間の場合、利き手と利き眼が同じ側の人が多数派ですが、利き手が右で利き眼が左など異なる人も存在します。この記事の「動物の利き」の部分で詳しく説明していますが、脳の使い方や思考のクセとも関わっています。鱗食魚の場合は、狩りの効率を最大化するため、利き眼と口の開く方向が明確に対応していることが特徴的です。
この研究は人間の医療にも応用できるのでしょうか?
将来的には可能性があります。特に注目すべきは、利き眼の機能を変化させることで本来とは逆側の行動パターンが現れたことです。これは将来的に「利き」の矯正や適応の研究モデルとなる可能性があります。ただし、魚から人間への応用には多くの研究段階が必要です。
タンガニイカ湖には他にも珍しい魚がいるのですか?
はい、タンガニイカ湖は「進化の実験場」と呼ばれるほど多様な固有種の宝庫です。口の中で卵や稚魚を育てる「口内保育」をする魚や、他の魚の口に自分の卵を紛れ込ませて育てさせる托卵魚、岩の表面から藻類を削り取って食べる特殊な歯を持つ魚などが知られています。約200種のシクリッドがそれぞれ独自の進化を遂げており、生物学者たちを魅了し続けています。
自分のペットの犬や猫にも利き手があるか調べられますか?
調べることができます。簡単な作業では両手を使うことがあるため、少し難しい作業をさせるのがコツです。瓶に入ったおやつを取る時や、頭についたゴミを払う時に、どちらの前足を最初に使うかを何度か観察してみてください。犬や猫の場合、オス・メスで利き手の傾向に違いがみられるとの報告もあります。愛犬・愛猫の新しい一面を発見できるかもしれませんね。
魚の鱗を食べる鱗食魚の利き眼についてのまとめ
- 鱗食魚は他の魚の鱗をはぎ取って食べる特殊な食性を持つ
- タンガニイカ湖は固有種の多い「進化の実験場」として有名
- 動物にも人間と同様に「利き」という能力が存在する
- 鱗食魚の利きは獲物を襲撃する方向に現れる行動パターン
- 左顎が大きいと口が右に傾き、獲物の左側を狙う「左利き」
- 右顎が大きいと口が左に傾き、獲物の右側を狙う「右利き」
- 鱗食魚には敏感に反応する「利き眼」があることが判明
- 右利きは左眼、左利きは右眼への刺激によく反応する
- 利き眼を白内障にすると襲撃成功率が大幅に低下した
- 非利き眼の機能を失っても狩りの能力に変化はなかった
- 利き眼が鱗食魚の狩りに極めて重要であることが実証された
- この発見は動物の「利き」メカニズム解明の重要な成果
- 人間の脳機能や利きの仕組み理解への応用が期待される