嫌な記憶を思い出すと、胸がドキドキしたり、冷や汗が出たりすることがありますよね。このような体験は誰にでもあるものですが、脳の中でどのような仕組みで起こっているのでしょうか?
東北大学の研究グループが、記憶をつかさどる「海馬」と感情や判断に関わる「内側前頭皮質」をつなぐ新たな神経回路を発見しました。この発見は、記憶と感情がどのように結びついているのかを理解する重要な手がかりになるかもしれません。
- 記憶の中心「海馬」とは?
- 感情と思考を操る司令塔ー内側前頭皮質
- 脳の中の「配線」神経回路の役割
- 新たに発見された感情と記憶をつなぐ未知の経路
- この発見の意義と今後の可能性
記憶と感情をつなぐ脳の新たな道筋を発見 - 不安や心拍にも影響か
記憶の中心「海馬」とは?
「海馬」という名前を聞いたことがある方は多いと思います。海馬は脳の奥深くにある記憶の形成や保存を担当する重要な領域です。
記憶の中枢である「海馬」は脳の中で特徴的な構造をしており、人間を含む哺乳類に共通して存在しています。今回の研究では齧歯類(ラット、マウス)の脳を調べていますが、大きさなどは異なるものの、基本的な構造は人間の脳にも当てはまります。
海馬は一様な構造ではなく、場所によって役割が異なります。脳の後方寄りに位置する上部(背側部)は空間の認識や記憶の正確さに関わっているのに対し、前方寄りにある下部(腹側部)は不安やストレスなどの感情や、心拍や呼吸といった自律神経の働きに関係しています。
この海馬の部位による役割の違いが、今回の研究の重要な背景となっています。記憶と感情の連携を理解するには、海馬のどの部分が脳の他の領域とどうつながっているかを知ることが鍵なのです。今回の研究では、背側海馬後部(dcHPC)が感情の調節や自律神経の制御に関わる背側脚皮質(DP)と接続していることが明らかになりました。
感情と思考を操る司令塔ー内側前頭皮質
次に「内側前頭皮質」について見ていきましょう。この部分は脳の前方、おでこの後ろあたりにある領域で、思考や判断、感情のコントロールなど、人間らしい高度な機能を担っています。
内側前頭皮質も海馬と同じように、上部(背側部)と下部(腹側部)で役割が異なります。脳の上側に位置する背側部は記憶や注意力といった認知機能に関わる一方、下側にある腹側部は感情の制御に深く関係しています。
特に今回の研究で注目されたのは「背側脚皮質」という部分です。名称に「背側」とありますが、これは脚皮質内での相対的な表現であり、脳全体の構造では内側前頭皮質の中でも最も腹側、つまり脳の底面近くに位置する領域です。研究発表の解説によると、背側脚皮質は扁桃体や視床下部とつながっており、感情や自律神経の制御に関わる重要な領域です。
脳の中の「配線」神経回路の役割
脳の中には多数の神経細胞(ニューロン)があり、それらが複雑につながりあって情報をやりとりしています。この神経細胞同士のつながりを「神経回路」と呼びます。
神経回路はある脳の領域から別の領域へと情報を伝える役割を果たします。これは電話網のようなもので、脳の異なる部位が互いに「会話」するための経路といえます。目で見た情報は視覚野で処理された後、記憶に関わる海馬や判断に関わる前頭前皮質など、他の脳領域へと送られます。この情報の流れが私たちの認識や行動の基盤となっています。
神経回路には大きく分けて「興奮性」と「抑制性」の2種類があります。興奮性の回路は次の神経細胞を活性化させるのに対し、抑制性の回路は活動を抑える働きをします。この「アクセル」と「ブレーキ」のバランスによって、脳は適切に情報を処理しています。
抑制性ニューロンは脳内の情報フィルターとして働きます。例えば、賑やかなカフェで友人との会話に集中するとき、友人の声に関連する神経回路は活性化され、周囲の雑音に関連する神経回路は抑制性ニューロンによって抑えられています。このように、必要な情報だけを通し、不要な情報を遮断することで、脳は効率よく情報を処理しているのです。
新たに発見された感情と記憶をつなぐ未知の経路
東北大学の研究グループは、最先端の神経科学的手法を用いて、海馬から内側前頭皮質への神経接続を詳細に調べました。その結果、これまであまり注目されてこなかった「背側海馬の後部(dcHPC)」が、「背側脚皮質(DP)」と強く結びついていることを発見しました。
この神経回路は多くの抑制性ニューロンに接続していることも判明しました。これは背側海馬の後部が、背側脚皮質の活動を抑制的に調整している可能性を示しています。
この発見の意義と今後の可能性
研究発表の冒頭にあるように、「嫌な記憶を思い出すと、胸が苦しくなったり冷や汗が出たりすることがあります」。こうした現象は、脳内で記憶が感情や身体反応を引き起こす仕組みがあることを示しています。
この仕組みは危険を素早く察知して回避するための生存本能に関わる重要なメカニズムです。「以前ここで危険な目に遭った」という記憶が、警戒心や逃走準備といった反応を自動的に引き起こすことで、私たちの生存確率を高めてきました。
今回発見された神経回路の詳細な解明は、将来的に記憶によって引き起こされる過剰な感情反応や自律神経の乱れを理解する手がかりになる可能性があります。
この発見は基礎研究の段階ですが、記憶と感情、自律神経の連携の仕組みの理解に新たな視点をもたらす可能性を秘めています。
よくある質問
海馬と内側前頭皮質の関係は他の動物にも同じように存在するのですか?
はい、海馬と内側前頭皮質の基本的な接続は多くの哺乳類で共通しています。今回の研究はラットやマウスなどの齧歯類で行われていますが、人間を含む哺乳類は脳の基本構造が似ているため、同様の神経回路が存在すると考えられます。ただし、種によって脳の大きさや複雑さが異なるため、詳細な接続パターンには違いがあるかもしれません。
PTSDなどのトラウマ関連障害は、この神経回路と関係があるのでしょうか?
今回の研究発表では明確に言及されていませんが、発見された神経回路は「記憶に基づいた感情の調節や自律神経の制御に関わっている可能性」があるとされています。PTSDは記憶と感情反応に関わる障害ですので、この研究領域の進展によって将来的に理解が深まる可能性はあります。ただし、現時点では直接的な関連性については明らかにされておらず、さらなる研究が必要です。
「抑制性ニューロン」は具体的にどのように働いているのですか?
抑制性ニューロンは「ブレーキ役」として働きます。GABA(ガンマアミノ酪酸)という神経伝達物質を放出して、他のニューロンの活動を抑える役割を持っています。脳内では常に膨大な情報が処理されていますが、抑制性ニューロンがこのフィルター機能を果たすことで、必要な情報だけを選択的に処理することができるのです。今回の研究では、記憶を担う海馬からの信号が、多くの抑制性ニューロンに接続していることが明らかになりました。
子どもと大人では、この神経回路の発達に違いがあるのでしょうか?
今回の研究発表では、神経回路の発達過程については言及されていません。この研究は成体の齧歯類を対象としたものであり、発達段階による違いを調べたものではありません。脳の発達に関しては別の研究分野で調査が進められていますが、今回発見された特定の神経回路の発達過程については、今後の研究課題となるでしょう。
瞑想やマインドフルネスは、この神経回路に影響を与えるのでしょうか?
今回の研究では瞑想やマインドフルネスについては言及されていません。この新たに発見された神経回路と瞑想やマインドフルネスの関係については、現時点では分かっていません。今後、記憶と感情を結ぶ神経回路に対する様々な介入方法の効果が研究されていくことで、理解が深まる可能性はあります。
記憶と感情をつなぐ神経回路の発見のまとめ
東北大学の研究によって発見された背側海馬の後部と背側脚皮質をつなぐ神経回路は、記憶と感情、そして自律神経の連携における重要な「橋渡し」の役割を果たしている可能性があります。
この回路が多くの抑制性ニューロンに接続していることから、背側海馬の後部が背側脚皮質の活動を抑制的に調整している可能性が示されています。
脳の研究はまだまだ謎が多く、今回の発見もさらなる研究によって詳しく検証される必要があります。しかし、記憶と感情がどのように連携しているのかを理解する上で、重要な一歩となることは間違いないでしょう。
- 海馬は記憶の中枢で上部と下部で役割が異なる
- 内側前頭皮質は思考や感情を制御する
- 神経回路は脳領域間の情報伝達経路
- 興奮性と抑制性の2種類の回路がある
- 抑制性ニューロンは脳内の情報フィルター
- 背側海馬後部と背側脚皮質の接続を発見
- 多くの抑制性ニューロンに接続している
- 記憶に基づく感情調節に関わる可能性
- 脳内での記憶・感情・自律神経の連動を解明