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2025.05.29

生物の体そのものを「計算」に活用ークラゲサイボーグが示す技術革新

透明な体をふわりと海中で漂わせるミズクラゲ。私たちはそんなクラゲを見て、単純な生き物だと思ってきたかもしれません。しかし、東北大学の研究チームは、クラゲの身体を「知能」の一部として活用できることを示しました。そして、クラゲの泳ぎ方を活かした「ハイブリッド物理リザバー」という新しい技術も開発されました。この技術は、将来的に海洋調査や環境保全など、人間が簡単に行けない場所での活用が期待されています。

目次
  • 研究の内容:ハイブリッド物理リザバーの開発
  • ミズクラゲの泳ぎ方
  • 自己組織化臨界現象とは?
  • サイボーグロボットって何?
  • 物理リザバーとAIモデル
  • 研究の意義と将来の可能性
  • クラゲが教えてくれる新しい技術の形
  • よくある質問

生物の体そのものを「計算」に活用ークラゲサイボーグが示す技術革新 水中を漂うミズクラゲの写真 【科学ニュース】
水中を漂うミズクラゲ

クラゲの体に宿る「知能」を発見!ミズクラゲサイボーグが未来の海洋調査を変える

研究の内容:ハイブリッド物理リザバーの開発

東北大学の研究グループは、山形県鶴岡市の加茂水族館や東京大学と連携し、ミズクラゲの泳ぎを詳細に調査しています。この研究では、クラゲの体の動きを3次元で測定する装置と、筋肉に電気刺激を与える装置が開発されました。

これらの装置を使った調査の結果、クラゲの泳ぎのリズムには「自己組織化臨界現象」という特徴があることがわかりました。また、筋肉に最適なタイミングで電気刺激を与えることで、クラゲの泳ぎをコントロールできることも確認されています。

研究チームはさらに、クラゲの体の動きを「知能」として活用し、泳ぐ速度を予測するAIモデル(ハイブリッド物理リザバー)も構築しました。この技術によって、クラゲの泳ぎを予測し、必要に応じて方向や速度を制御することが可能になっています。

ここがポイント!

革新的な点は、生物そのものの特性を「計算資源」として活用する発想にあります。従来は人工的に作られた電子回路やプログラムで情報処理を行っていましたが、クラゲの体内で自然に起こる複雑な反応そのものを計算の一部として利用することで、省エネルギーかつシンプルな制御が可能になったのです。

ミズクラゲの泳ぎ方

ミズクラゲは、日本の海岸でもよく見かける透明な傘のような形をした生き物です。学名をAurelia coeruleaといいます。

ミズクラゲの泳ぎ方は、傘の縁にある環状の筋肉を収縮させたり緩めたりすることで水を押し出し、その反動で前に進みます。ちょうど、傘を開いたり閉じたりするような動きです。

今回の研究で注目されたのは、この「傘の開閉」が単純な往復運動ではなく、自己組織化臨界現象に基づく独特のリズムであることが、クラゲの泳ぎとして初めて確認された点です。

自己組織化臨界現象とは?

「自己組織化臨界現象」という言葉は難しく聞こえますが、自然界でよく見られる現象です。簡単に言えば、「小さな変化が時には大きな反応を引き起こす状態」のことです。

例えば、砂山で小さな崩れがきっかけとなって一気に崩落が起こる現象や、雪山でわずかな振動が雪崩を誘発する現象が SOC の代表例です。クラゲの泳ぎも同様に、小さな刺激がタイミング次第で大きな運動変化を生み出すことが今回の研究で示されました。

サイボーグロボットって何?

「サイボーグ」というと、SFに出てくる人間と機械を組み合わせた存在を思い浮かべるかもしれません。科学の世界では、「サイボーグロボット」とは生物の体と人工的な電子機器を組み合わせたものを指します。

生物の体には長い進化の過程で獲得された優れた能力があります。これらの生体機能は、時として人工的に作られたシステムよりも効率的に機能し、複雑な環境への適応能力に優れていることがあります。

サイボーグロボットは、この生物の優れた能力と、電子機器の制御性や通信能力を組み合わせることで、双方の利点を活かした新しい技術を目指しています。これまでにも昆虫やクラゲなどを使ったサイボーグロボットの研究が行われてきました。

物理リザバーとAIモデル

今回の研究で使われている「物理リザバー」という言葉は、あまり聞きなれないかもしれません。これは、物理的な対象の複雑な動きを情報処理に活用する技術を指します。この「対象」は、たとえば太陽系や生態系といった「系(けい)」と呼ばれるものであり、ここではクラゲの体そのものがそれにあたります。つまり「物理的な系」とは、物理学的に観察・分析の対象となるもの全般を意味します。

物理リザバーの発想は、複雑な数理モデルや人工のネットワークを、現実の物理的な動きで置き換えるというものです。クラゲの体内にある神経網や筋肉の反応そのものを、「計算機構」として利用するのです。

研究チームは、クラゲの筋肉に電気刺激を加え、その反応パターンを観察・解析することで、クラゲの動きを予測するAIモデルを開発しました。このモデルは「ハイブリッド物理リザバー」と呼ばれ、クラゲの体そのものを計算資源の一部として活用しています。

このように、クラゲの体の動きが情報処理に組み込まれることで、従来の電子回路やプログラムとは異なる効率的な処理が可能になると期待されています。

研究の意義と将来の可能性

今回の研究の最大の意義は、生物の体に備わっている「知能」を活かす新しい方法を示したことです。従来のロボット技術では、全ての動きを人工的に作り出し、制御する必要がありました。例えば、ロボットに「腕を曲げる」という動作をさせるには、モーターを動かす電力と、その動きを細かく計算するコンピューターの処理能力が必要です。しかし、この研究ではクラゲの体が本来持っている筋肉の収縮能力を利用することで、大きなコンピューターや多くの電力を使わなくても効率よく動かせるシステムを実現しています。

将来的には、このクラゲサイボーグ技術は様々な分野で活用される可能性があります。例えば、過酷な災害現場での調査や、深海など人間が簡単に行けない場所での海洋調査、環境保全のためのモニタリングなどが考えられます。

また、この研究は「身体に宿る知能」という考え方に関連しています。私たちは普段、「考える」という行為は脳だけで行われると思いがちですが、実は体全体が「考える」プロセスに関わっているという見方があります。

クラゲの研究は、この「体そのものが持つ知能」を活用することで、生物の体の仕組みそのものを利用して情報処理ができることを示しています。これは人工知能や脳科学の分野に、「知能とは何か」という根本的な問いに対する新しい視点をもたらす可能性があります。

ここがポイント!

この研究は、生物の体に備わる能力を活かした新しいロボット技術の可能性を示しています。省エネで環境に優しい技術開発にもつながります。

クラゲが教えてくれる新しい技術の形

東北大学の研究グループが開発したミズクラゲサイボーグは、生物の体に備わる「知能」を活かす新しい技術の形を示しています。クラゲの泳ぎのリズムが自己組織化臨界現象という特殊な性質を持っていることを発見し、それを活用することで、少ないエネルギーと計算能力で動作するシステムを実現しました。

この技術は、将来的に海洋調査や災害現場での活用が期待されています。また、「身体性」という考え方に基づく新しい人工知能の可能性も示しています。

私たちが単純な生き物だと思っていたクラゲの体に、実は複雑な「知能」が宿っていたというこの発見は、自然界の驚くべき可能性を改めて教えてくれます。今後、この研究がどのように発展していくのか、注目されています。

よくある質問

Q

クラゲサイボーグは実際に海に放して使うことができるのですか?

A

現時点では研究室内での実験段階です。将来的には海洋調査などでの活用が期待されていますが、まだ海に放して使える段階ではありません。現在は、クラゲの泳ぎ方のパターンを理解し、それをAIモデルで予測・制御する基礎技術が確立された段階です。

Q

クラゲに電気刺激を与えるとクラゲが痛みを感じたりしないのですか?

A

クラゲには私たちのような中枢神経系がなく、ヒトと同じ形で「痛み」を感じる可能性は低いとされていますが、完全に無痛と断定できるほどの証拠はありません。研究で使われる電気刺激は、クラゲの自然な収縮を誘発する微弱なレベルで設定されています。

Q

この研究はクラゲを危険な場所に送り込むために行われているのですか?

A

いいえ、そうではありません。この研究の本質は「クラゲから学ぶ」ことにあります。研究の主な目的は、クラゲの泳ぎのリズムに潜む自然の法則を理解し、その仕組みを活かした新しい情報処理技術を開発することです。応用例として海洋調査が挙げられていますが、クラゲが自然に生息する環境での観測を想定しています。

Q

「自己組織化臨界現象」は日常生活でも見られるものなのですか?

A

はい、実は身近な場所でもよく見られます。例えば、砂浜で砂山を作るとき、少しずつ砂を積み重ねていくと、ある時点で急に崩れ落ちることがあります。小さな変化が積み重なって臨界点を超えると大きな変化が起こる現象は、自然界では広く認められています。

Q

「物理リザバー」と「人工知能(AI)」はどう違うのですか?

A

物理リザバーは物理的な系(この場合はクラゲの体)の動きを利用して情報処理を行う仕組みです。一方、AIは問題解決や予測などの知的な作業を行うためのシステム全体を指します。今回の研究では、物理リザバー(クラゲの体)を使って、AIの一部として機能するシステム(ハイブリッド物理リザバー)を作ったということです。

Q

クラゲサイボーグ技術は将来どのような分野で役立つのでしょうか?

A

海洋調査や環境モニタリングが最も期待されている分野です。クラゲは海洋環境に自然に溶け込むため、海洋生物への影響を最小限に抑えた調査が可能になります。また、少ないエネルギーで動作するため、電池寿命が長い調査機器としても有望です。