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2025.11.19

葛飾区東金町半田稲荷神社の由来と文化財 天井絵、大絵馬、願人坊主

葛飾区郷土と天文の博物館のイベント「文化財をたずねる ―東金町 半田稲荷神社―」に参加してきました。ふだん一般公開されていない半田稲荷神社(はんだいなりじんじゃ)に伝わる貴重な文化財を見学できましたので、当日の様子や感想をお伝えします。

東京都葛飾区東金町の半田稲荷神社(はんだいなりじんじゃ)撮影:junk-word.com(爆点日本史編集部)
東京都葛飾区東金町の半田稲荷神社(はんだいなりじんじゃ)撮影:junk-word.com(爆点日本史編集部)

葛飾区 郷土と天文の博物館「文化財をたずねる 東金町 半田稲荷神社」

2025年11月1日に実施された、葛飾区 郷土と天文の博物館のイベント「文化財をたずねる ―東金町 半田稲荷神社―」に参加してきました。半田稲荷神社(東京都葛飾区東金町)の由来と文化財をたずねる企画で、一般公開されていない文化財や、最近の調査報告など、内容の濃いプログラムでした。

当日は現地集合で、担当者の方・神社の方のあいさつ → 神社の概要説明 → 境内の神泉遺構や狐(神使)の解説 → 社殿内の文化財(扁額、大絵馬、天井絵など)の解説 → 客殿に移って最近の研究報告、という流れで進みました。

願人坊主(がんにんぼうず)とは?

半田稲荷神社は、奈良時代(和銅4年:711年)もしくは平安時代(永久年間:1113~1117年)の創建と伝えられる古社で、江戸時代には子どもの疱瘡(ほうそう)や麻疹(はしか)、安産にご利益がある神社として評判を集めました。その人気を全国に広めるうえで大きな役割を果たしたのが、「願人坊主」と呼ばれる人たちです。

願人坊主は、江戸時代に主に都市部で活動した、僧形の乞食僧・大道芸人です。人に代わって神仏に参詣したり、祈願のための修行(例:水垢離(みずごり)など)を行ったりして、その謝礼として米銭をもらい、生計を立てていました。「代願人の坊主」という意味合いから、この名で呼ばれるようになりました。

天井絵(てんじょうえ)

境内の見学が終わり、いよいよ社殿内に進みます。この企画の見どころのひとつが、拝殿の天井に描かれた天井絵です。赤・黒・金・青・緑...と色彩も鮮やかで、葛飾区の神社にこれほど立派な天井絵が残っていることを、正直まったく知りませんでした。撮影もOKとのことでしたのでスマホで撮らせていただきましたが、ふだん一般公開はしていないそうなので、ここでは写真の掲載は控えます。

天井絵は「天井画(てんじょうが)」とも呼ばれ、その名の通り、建物の天井に描かれた絵画のことです。寺院や神社、城、宮殿など歴史的建造物によく見られ、描かれた時代や画風によってさまざまな魅力があります。日本では、寺院の荘厳(しょうごん:内装を整えて美しく飾ること)の一つとして用いられ、のちには城や武家屋敷でも、花鳥風月や龍虎など多様な題材が描かれるようになりました。

半田稲荷神社の天井絵は、格子状に区切られた天井の一つ一つの升目に異なる絵柄が描かれている形式で、このような天井を「格天井(こうしてんじょう・ごうてんじょう)」、そこに描かれた絵を「格天井絵(こうしてんじょうえ・ごうてんじょうえ)」または「格天井画」と呼びます。

天井絵の魅力は、その美しさだけでなく、見上げて鑑賞することで空間全体が別世界のように感じられる点にもあります。描かれた絵柄に込められた意味や物語を調べてみると、信仰や美意識、当時の人々の暮らしぶりが見えてきて、さらに楽しめます。

絵馬・大絵馬(おおえま)

拝殿には、奉納された絵馬や大絵馬も飾られていました。大絵馬とは、神社や寺院に奉納される絵馬のうち、特に大型で、額(扁額/へんがく)形式になっているものを指します。一般的に参拝者が願い事や感謝を書き込んで吊るす小さな絵馬(小絵馬)とは区別され、その起源や役割、芸術的価値において重要な意味を持っています。

小絵馬が個々人の祈願(合格祈願、病気平癒など)のために使われるのに対し、大絵馬は主に、祈願成就(満願)の御礼として、あるいは村や講中など複数の有志による共同の祈願や奉納、さらには神社の荘厳や威厳を示す目的で奉納されることが多いようです。

江戸時代以降、庶民信仰が盛んになるにつれて、大絵馬は専門の絵師や有力な絵馬師によって描かれるようになり、芸術性の高い作品も数多く制作されました。画題としては、神話や故事、合戦の場面(例:源平合戦)、祭礼の様子、馬、龍虎、干支など、縁起が良く物語性のあるものが好まれました。

こうした大絵馬は、地域の風俗や庶民文化、当時の流行の絵画様式を知ることができる貴重な民俗文化財でもあります。

半田稲荷開帳願諸扣(はんだいなりかいちょうねがいしょひかえ)

拝殿の見学が終わると、客殿に移動して、半田稲荷神社に伝わる古文書をもとにした、最近の研究成果についての説明がありました。

まず紹介されたのが、半田稲荷神社所蔵の「半田稲荷開帳願諸扣」です。これは、出開帳(でがいちょう)に関する記録・控えの類で、半田稲荷がどのように開帳を行い、資金を集めていたのかを知ることができる史料だそうです。出開帳とは、寺院の御本尊や秘仏(ふだんは厨子や扉の奥に納められている仏像)を、遠方の別の土地に運んで公開し、参拝させる行事のことです。自分の寺で行う「居開帳(いがいちょう)」に対して、他所で行うものを出開帳と呼びます。

寺社の修繕費や再建費を捻出するため、出開帳は江戸時代に各地で盛んに行われました。出開帳は宗教行事であると同時に、庶民にとっては最大級の娯楽の場でもあり、特に人口の多い江戸や京都、大坂などの大都市では非常に人気がありました。開催地の寺社の境内には見世物小屋や演芸、出店が立ち並び、まさに一大イベントだったそうです。

説明によると、半田稲荷神社でも社殿の修復費を集めることを目的として、天保7年(1836年)に深川で出開帳を行う計画を立て、幕府に申請した記録が残っているとのことでした。深川での開帳については、「半田稲荷が深川で開帳した」とする当時の記録にも触れられていました。

続いて、「武蔵州金町村三宝院後住任用状」という文書の解説もありました。こちらも半田稲荷神社が所蔵する史料で、金町村の村役人と氏子(うじこ)たちが、住職不在となっていた金町村の三宝院(さんぽういん)に新たな住職を迎えたいとして、上野の寛永寺(関東地方における天台宗の中心的な寺院)に申請した内容を記した文書です。妙光院(みょうこういん)と号する僧侶を住職として迎えたい、という趣旨が読み取れる史料と紹介されました。

妙光院は、天台宗の寺院である市ヶ谷自証院(じしょういん)に所属していた僧侶と考えられており、当時の人事や寺社行政のあり方を知る手がかりになります。

江戸時代は神仏習合(しんぶつしゅうごう)の時代で、日本の神々は仏の化身と見なされ、神と仏は本質的に同一であると考えられていました。このため、寺(仏教側)が神社の管理・祭祀を担う「別当寺」という制度が整えられ、寺院の守り神として境内に鎮守社(ちんじゅしゃ=神社)が建てられることも一般的でした。

今回紹介された史料は、まさにそうした神仏習合のあり方を物語るものです。三宝院という寺が、半田稲荷神社の管理・祭祀も担い、地域信仰の中心として機能していたことがわかります。葛飾区周辺の地域史や江戸時代の宗教行政、そして神仏習合の実態を知るうえで、大変貴重な手がかりとなる史料だと感じました。

見学を終えて

葛飾区 郷土と天文の博物館「文化財をたずねる 東金町 半田稲荷神社」で配布された資料 撮影:junk-word.com(爆点日本史編集部)
「文化財をたずねる 東金町 半田稲荷神社」で配布された資料 撮影:junk-word.com(爆点日本史編集部)

9時30分~12時まで、2時間30分のイベントで、最初は「少し長いかな?」と思っていたのですが、いざ始まってみると内容がとても充実していて、あっという間に時間が過ぎてしまいました。ひとつの神社の歴史や文化財をここまで深掘りする企画はあまりないので、参加できて本当によかったです。

配布された資料は24ページもあり、半田稲荷神社の由来と文化財について詳細な解説が記されています。家に帰ってからゆっくり読み返すことができ、資料づくりのご苦労も偲ばれました。これだけでも、参加費の何倍もの価値があると感じました。

今後も同じような企画があれば、ぜひまた参加したいと思います。

開催情報

企画名 文化財をたずねる ―東金町 半田稲荷神社―
主催 葛飾区郷土と天文の博物館
日時 令和7年11月1日(土曜日)午前9時30分~正午
会場 半田稲荷神社(葛飾区東金町4-28-22)
講師/出演 文化財保護推進委員・郷土と天文の博物館職員
費用 100円
定員 20人(申込み多数の場合は抽選)